Parallel Factor ―UG― エピローグ
12
……生き抜かなくては!こんな……所でっ!
いつ見てもきれいな町並みだ。夕日に照らされ、建物の輪郭が黄金色に輝いている。賑わう人間からは生きるものの持つエネルギーを感じる。うっうらやましい!
わたしは黒いマントで震える身を包み、壁に寄りかかりながら、一歩一歩足を前に進めている。
胸が苦しくなり両手を前につく。胸から抑えられないなにかが込み上げてくる。
一瞬にしてペストマスクの内側が赤く染まった。
死んでいた。わたしは死んでいた。でも、老人の魂で生かされている……恐らく。
あのとき、老人が成仏したお陰で心臓を再生させるだけの魂のエネルギーを貰うことができたらしい。死にたくない一心で、胸部にメスを突き刺したところ、十数分かけて心臓は再生された。
でも、再生『されただけ』だった。
心配停止が数十分続いた。恐らく、全身で酸素の欠乏が起きている。例えるなら、徒競走の全力疾走を十分間続けた状態だ。空気を求めて肺が動こうとするが、肺に栄養を送るはずの血液が滞っていた上、さらに傷口が塞がるまでの出血もひどかっために、すでに肺機能全体がダメになっているようだ。
さらに、肺だけではなく全身の臓器で酸欠及び栄養失調になり、多臓器不全を引き起こしているらしい。死に行く臓器は血中にその成分を放出し、さらに容態を悪化させるはずだ。
筋組織は血管の細い末端から徐々に変性し、凝固壊死を始めているためか、指先はもはや感覚がない。
頭をハンマーで延々と叩かれているような頭痛がする。
胃のなかには大量の血液が滞留し、すさまじく気持ち悪い。吐き気がする。
平衡感覚は失われ、地震が起きていると錯覚するぐらい強烈な目眩がする。
息を吸っても何も得られない。気管支が萎縮して笛のようにヒューヒューと音を立てている。
ほとんどの魂の力も、一度死んだときに失ってしまった。
それでも、前に進まなければ……。今まで殺してきた人の分まで生きなければ……。生きるのは辛いことだけど、わたしには生きてこそ……成し遂げられるものがある!
ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……。
一歩が苦痛に満ちている。止めたい……死にたい……わたしのポケットに入った、たった一本のメスで、この地獄から抜け出せる。でも……死ねない……。あなたと一緒に幸せになるまでは……。
ああ、みんな何で幸せそうなんだろう。きらびやかな町で、何がそんなに楽しいんだろう。
わたしは入れない。幸せの輪に入れない。なぜ!なぜ駄目なの!わたしにもしあわせにある権利はあるはずなのに!
なんでなんでなんで!
あ、なっ涙が……マスクを被った時から枯れていたのに……何で今ごろ!止めて!
感情が溢れだす!今までこらえてきたものが!わたしの心が!
たっ立てないっ!足が震えて歩けない!体と心に殺される!ダメ!前に前に進まなきゃ……『しあわせ』になれないのに!!
意識が途切れかけた、まさにその時だった。
この音は……?ウルサイざわめにの中に、なにか聞こえる。
…………ギターだ。誰かが、ギターを引いている。
何故だろう、何でこんなに静かに弾いているのだろう。こんなざわめきなら耳を澄ましてもかき消されてしまうのに。
曲の終盤に差し掛かったとき、ようやくわたしは音の出所にたどり着いた。彼女は茶色いセミロングの髪をゆらしながら静かにギターを鳴らしていた。演奏していたのは茶色く目立たない服を着た少女だった。どこにでもいそうで、どこにもいない、そういった不思議な雰囲気を持つ娘だった。
わたしはギターの演奏者の目の前に立って、耳を澄ませた。
ポロン、と最後の音が名残惜しく響き渡る。騒音にかき消されることもなく、聴こうとする人には聴こえる、趣ある音だった。
「いい曲だった……よ……」
脚の力が脱落した。前のめりになるも、手をつくことすら出来ずに倒れ落ちた。ああ、ペストマスクのはなの部分が折れちゃった。もう使うことはないと思うけど。
「だっ……大丈夫ですか!」
演奏者の少女はわたしのマントを脱がせた。そして、わたしのコートからメスを取り出すと、わたしの屈強な背中を切り開いた。
「何で……何でわかるの!?今まで誰に…ゴホッ」
少女は切り開いた背中の中に手を突っ込み、あるものを引き抜いた。少女に引き抜かれのは……『わたしの体』だった。
「酷い……これじゃあ……もう……」
今にも泣きそうな声だった。わたしはか細い腕で少女の頬を撫でた。
「ごめんなさい。あなたのギターを聴けるのはこれで最後ね……」
わたしは自分の小鳥のように高く愛らしい声に驚いた。ああ、わたしはこんな声をしていたの…。
少女は首を何度も左右に振った。
「それ以上喋らないで!死んじゃう!」
「フッ……フッ……フッ。わたしの命は言われなくても尽きちゃう。もう……どうしようもないないの」
久しぶりに人に触れられた気がする。両脇に添えられた手から温もりを感じる。生きている人ってこんなに暖かいんだ。
少女はわたしを抱えあげて走り出した。黒く長い髪、純白のワンピース。わたしが外にいる。何年ぶりだろう。『人間の』わたしが外に出るのは。
突然人の声が消えた。いつのまにか、宿屋かどこかのベットにわたしは寝かせられていた。
「……お願いがあるの」
「何?」
「話を……聞いてほしいの」
13
わたしの故郷は第一次妖精大戦に巻き込まれていたの。だから、とても妖精と妖怪を恐れていた。
でも、わたしの恋人は妖怪だった。彼はその事を隠してわたしと付き合っていた。
彼は目立たないけど優しい妖怪だった。生物学が大好きで、普段はあまりゃべる人じゃないのに、生物の話になると途端に話続けるの。わたしがやんわり話を止めると、彼は顔を赤くして恥ずかしがるのがお決まりだった。
彼の話からは、興味のない人でも楽しく聞けるように、考えて工夫しているのが伝わってきた。
わたしはそんな彼と一緒にいるのが大好きだった。あえて、生き物の話題をふってずっと話を聞いてるの。そのうち、一日に何時間も話をするようになって、気がついたら付き合っていた。
先に告白したのはどっちだけっけ。彼は「まだ成人してないじゃないか」と、照れつつわたしに指輪をはめたの。
それから、わたしは彼の旦那を名乗るようになっていった。友達からは身長の差でお父さんとお子さんって呼ばれてたけど。
そんなある日、家で彼と夕食を食べていると……突然怖い人たちがやって来て、何もかもが終わった。押さえつけられ、目隠しと手錠をつけられると車の中に連れ込まれた。手錠をつけられるときに指輪が落ちてしまった。泣き叫びながら逃れようとしたけれど無理だった。せめて、指輪を拾いたかった……。
わたしと彼は離ればなれにされたあと、怖い人に船でつれていかれた。行き先は巨大な監獄――カネラッソだった。
監獄での生活は最悪だった。暴力拷問実験恥辱、思い出すだけでも涙が溢れてくる。でも、どんなに辛いことでも、愛する人の顔を思い浮かべれば乗り越えられた。
入獄から数週間した頃だった。寒い寒い牢屋の中で一人で泣いていると、ペストマスクの男が部屋に入ってきた。そして、わたしには抱えきれないくらい大きくい、青いバケツが渡された。ペストマスクの男から渡されたバケツの中には、バラバラになった臓器らしきものが入っていた。わたしはペストマスクの男に『組み立てろ』と言われた。
何日もかけて少しずつ中身を組み立てた。あらわになっていく体には、見覚えがあった。
何を治しているのか理解したとき、わたしは『能力』に目覚めた。魂の力を使って、外科的な肉体の治療をする力だった。わたしは組み上げるている最中に、能力の研究を同時にした。それ以外に方法がなかった。
組上がったのは、解剖された挙げ句、魂までも引き裂かれ、ズタズタにされた恋人だった。指にはわたしが落としてしまった婚約指輪が輝いていた。
こうなってしまったのは、彼に告白したわたしのせいだった。その上、彼の肉体を研究に利用する非道な自分が許せなかった。そして何より、数々の悲劇を作り出しているこの世が憎かった。
わたしはどこまでも辛く暗いこの世界に対して誓った。
絶対に彼と一緒に幸せになってやる、と。
あのときの姿のまま!
あのときの心のまま!
あのときの記憶のまま!
わたしたちはもう一度出会い、一点の曇りもない幸せを手にいれてやるっ!
14
わたしは彼の指から指輪をとり、もう一度自分の指にはめた。もう二度と奪われたくないと願った。そうしたら、指輪は皮膚を貫通して、手のひらの中で止まったの。
それを境に能力は急激に開花していき、しまいには頭を撫でるフリをして後頭部に指を指すだけで、神経を弄れるようになっていた。
まず、わたしは整形と色仕掛けで看守達をおびき寄せ、脳内麻薬(エンドルフィン)依存症にして支配した。
次に恋人の遺骸を手術して筋力を増強した。もともと小柄だったわたしの体を若返らせ、さらに小さくすることで、遺骸を身にまとった。
そしてわたしの体と遺骸の間に空気を入れ浮くことで、泳いでカネラッソを脱出した。これしか、彼と一緒に脱出する方法がなかった。
脱出した後、わたしは能力を活用し、見た目から性別や国籍をも偽り、サングリア国の医療機関に入った。露骨な人種差別に腹が立ち、数年でやめてしまったけれど。でも、そこで病人と接っしたときに、死するときに魂の力が得られること、転じて魂の治療にも『力』が使えることがわかった。……彼の魂を完全に甦らせるには数百人成仏させなければならないことも。
そして、わたしが医療機関で発揮した優秀な解剖技術に目をつけたのが、あのコロシアムのオーナー、この国、サングリアの王であるマエストロ……の部下だった。
サングリアで発生する奴隷の処理、解剖、そして死亡理由の擬装を依頼してきた。
お互いに知り得たことは他言しないこと、遺体を預かってから殺すまで好きにしていいこと、その他複数の条件を設けて、わたしは承諾した。
そうしたら、なんと運のいいことか。わたしの彼を殺した奴、ペストマスクの男に研修しにいくことになった。わたしは、解剖の技能に長けた彼から、知識と力の活用法を搾り取れるだけ吸収した。なぜか病死してしまったけれど。
わたしは皮肉を込めてそいつのマスクを奪った。
解剖の能力は死んだペストマスクの男を除いてわたし固有のものであったこと、そして国の暗部に大きく関わることから、莫大な資金を得ることができた。得たお金で地下墓地を改装して研究所を作った。
最初のうちは、わたしをこんな目に遭わせた、世界に復讐するための研究をしていた。彼への手向けだとおもったから。
でも、死に行く人たちにふれあうことで、考えが変わった。貴族階級の人間にも関わらず、自らの安楽死を依頼する人もいれば、凄惨な人生を送ってきたのに『私は幸せだ』と言い切る鬼の奴隷もいた。それを見て、変えるのは環境ではなく自分であることを思い知らされたの。幸せの形もひとそれぞれなんだってこともわかった。
それからは、ひたすら死と向き合い、神父紛いのことをして、人を成仏させてきた。
人の命を奪うことは苦痛以外の何者でもなかった。わたしは『この地獄らか人を救っているのだ』と自分に嘘をいた。していることは殺人と何ら代わりのないことなのに……。
死は平等だった。子供がいようが後世に語り継がれようが、やがて皆から忘れ去られる。死んだら大抵の人は何も残らない。だからこそ、生きる過程――生きざまが大切であることも知った。
しかし、わたしは『彼と幸せになる』という『結果』に依存するしかなかった。彼こそがたったひとつの心の支えだったから。幸せの形や、幸せになる方法、……そもそも幸せにならなくてもよかったはずなのに、ここまで来てしまった。
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「……でも、それでもね、最後まで彼を想えてよかった……と、わたしは……思ってる。たった今気づいたの。一途に人を想い続けられることもまた、幸せなんだって」
ギターの少女はわたしの手を握ってくれた。「もう、頑張らなくてもいいよ」、そう言っているかのように。
「わたしは、あなたに思いを……遺すことができた。わたしのやるべきことは全部終わっちゃった。……最後に……ひとつだけお願いがあるの」
「何?」
わたしは最後の力で、壁のすみに鎮座している人を指差した。わたしが体内から消えたことにより、本来の青年の体に戻っている。
壊れたペストマスクの内側から、わたしがもっとも求めた人の横顔が見えていた。
それこそがわたしの全てだった。
「彼の……ために鎮魂のお……ん……が……く……を――――」
ギターを取り出した少女。暖かい光に照らされて茶色の髪が黄金に瞬いていた。オレンジの瞳は涙で煌めいていた。幼さが残る顔は微笑みを称えていて、美しい。
短い人生で、悔いも未練も残るけど……わたしは確かに『幸せ』だった……。