フゥルの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

黒猫紳士と黒髪少女 ~旅立ち~ 短編小説


 屋敷の地下、消えることのない松明が照らす一室。石造りの壁や天井にはお札が貼り付けられた縄が張り巡らされており、部屋の中央をチョークで描かれた魔方陣が陣取っている。中央奥に唯一ある扉からカツカツという軽快な足音が聞こえてくる。やがて足音はどんどん大きくなり、バンッと勢いよく扉が開いた。文字通り部屋に転がり込んだ黒髪の少女。何ヵ所も打撲し、擦りむいたことを気にもせず、バタンとドアを閉じる。錠前に鍵が刺さるまで何度も押し付けて、ようやく鍵を閉めた。
 「ぜぇ......ぜぇ......。ターコイズ叔父さん、あんなに優しかったのにどうして......」
 少女は長い髪をゴムで束ねると、ポケットから黄ばんだ手紙を取り出した。紙と魔方陣を見比べつつ、図に線を付け足していく。画材は白いシャツから染み出してくる鮮血である。
 ドアから乱暴な足音と醜い怒号が響く。
 「スピネル! お前が、お前さえいれば人魔を操ることがぁ!」
 扉がガシャンガシャンと揺れる。長くは持ちそうにない。
 右肩のサスペンダーが外れかけているが彼女に気にする暇はなかった。
 「『封印の一族の名において宣言する。名もなき人魔よ、今こそ封印から解き放たれ、我が望みを叶えたまえ!』」
 少女は叫ぶと魔方陣に向かって血がべっとりついた遺書を投げ入れる。
 魔方陣から立ち上る黒い霧。
 「私は名もなき人魔。私の封印を解いたということは......」
 息も絶え絶えに少女は懇願した。
 「助けて......ください!!」
 「よかろう」
 霧は徐々に人のシルエットへと変わっていく。最初に見えたのは黒のモーニングコートにウェストコート。次に白い手袋。シルクのネクタイと隣り合う胸ポケットにはシルクのスカーフ。ちらりと覗くワイシャツ。そしてどんな季節でも使える灰色のズボン。だが、その顔はどこからどうみても黒い猫であった。
 それと同時に扉を打ち破って、剣を持った男たちがなだれ込む。最後尾に豪華な服装をした初老の男。少女は血まみれの腹を抱えながら、壁際まで逃げた。そのまましゃがみこむと、額の汗を拭い、両手を握りしめてガタガタと震え始めた。猫の紳士は剣士たちと少女の間に立つ。
 「バカな! なぜ封印が解けている!」
 「さあな」
 「話が通じん化け物め、傭兵どもかかれ! 奴は下級の人魔だ。勝てない相手ではない!」
 初老の男の号令で、剣士たちが猫紳士を囲んだ。紳士はピンと背筋を伸ばしたまま、腰のベルトからステッキを引き抜いた。そのまま大きく跳躍、剣士たちを飛び越え初老の男の背後に着地すると、首にステッキを突きつけた。
 「命を終わらせるか?」
 混乱する戦士には目もくれず、猫紳士は少女に言った。彼女は首を横に振った。
 初老の男はがっくりと膝をつき、昏倒した。
 雇い主が倒れ、統率が乱れた傭兵たちを猫紳士は圧倒する。ステッキの一撃で剣はへし折れ、鎧が歪む。猫を彷彿とさせる軽やかなステップは剣士たちを一切寄せ付けない。剣士たちはあっという間に全滅してしまった。その動きに一切無駄のないことが、紳士服が伊達ではないことを示していた。
 「大丈夫か?」
 猫の紳士は少女の前で膝をつき、彼女のサスペンダーを正し、服についた埃を払い、汗をシルクで拭う。最後に震える手をそっと握った。
 「ありがとう。私はスピネル。でもごめんなさい、今あなたにしてあげられることは何もないの......」
 「封印を解いてくれただけで充分だ。それに礼ならお前の親に言え。これは単なる恩返しだ」
 「お父さんとお母さんは......遠いところにいっちゃったの」
 「......そうか。あの二人が......」
 「わたしも......もうすぐお父さんとお母さんのところへ......」
 少女の目線の先には鮮血で描かれた足跡。そして、今も血溜まりが少女の足元で広がりつつある。蒼白な顔には生気が感じられない。
 「まさか、この私を解放するためだけにここまで来たのか。自分の身を犠牲にして」
 「あなたは、お父さんとお母さんの大切なご友人だもの......」
 「ふむ、手術痕が原因か」
 猫紳士はそっと彼女の腹に触れた。淡い光が手袋から漏れる。みるみるうちに彼女の傷が癒えていく。
 「どうだ? 少しは楽になったか?」
 「ねこさま、すごい!」
 ばぁっ、と笑顔を浮かべた少女が紳士に飛び付いた。あわてふためきながら、猫紳士は彼女を突き放した。
 「私はかつて人に大いなる災いをもたらし、恐れられ封印された人魔だぞ? それをねこさまだと? 怖くないのか?」
 「だって、顔が猫だもん」
 ねこさまはムッとした顔で言い返す。
 「君があの霧を黒猫だと思い込んだからこの姿に固定されてしまったのだ。本当はもっと恐ろしく威厳のある姿になるつもりだったのだが、せめて黒猫紳士と......」
 少女は「あ、そうだ」と倒れた剣士たちを一人一人見て回った。全員確認したところで髪を留めていたゴムを外し、安堵のため息をついた。後ろ髪がぶわっと鮮やかに広がる。
 「死んでなくてよかった」
 「君に乱暴しようとしたやつらだぞ?」
 「叔父さんが怒ったこと今まで見たことがなかった。あれは私の知っている叔父さんじゃない。きっと、何か深い理由があったのよ。それに......もう人が死ぬのを見たくないの」
 猫の顔をした人魔はため息をついた後、少女を強引に脇下へ抱き抱えた。
 「へっ、ちょっと!?」
 「逃げる。あいつらは自力で脱出できるだろう。それよりも今は私たちが危ない」
 部屋から出て螺旋階段をかけ上がる。気が遠くなるような段数を登ると金属製の扉があり、開けると倉庫に出た。木箱の間を通り抜け、倉庫から飛び出した後、屋敷の中を疾走する。その後、ステッキで窓を叩き割って二人は屋敷を脱出した。

 山奥に屋敷は建っており、麓には町が見える。背後は崖だ。日が今にも消え入りそうだった。
 「息切れしない?」
 「親子三人揃って底無しのお人好しだな。安心しろスピネル、人魔の体力は桁違いだぞ。他人の体のことより自分の身を心配するんだな。傷はなくなっても病気までは治ったとは限ん」
 黒猫紳士は少女を一旦下ろしてから、むくれている彼女をおんぶした。続いてステッキを取り出し、崖に向けて捻る。カチッという音と共に杖の中程に引き金が飛び出し、引き金を引くとワイヤーが先端から射出された。崖の上に引っ掛かったのを確認して、綱引きの要領で断崖を登り始める。
 「どこへ行くの?」
 「魔力が集中している山頂だ。そうだな......お礼の代わりに手伝ってほしいことがある。あらかじめ説明しておくぞ。山頂に着き次第、私の言う通りに地面に図形を書け。あと、とある文言を覚えてもらう」
 「ここまでしてもらったのに、それだけでいいの?」
 「充分すぎる」
 崖を上りきり、しばらく進むと開けた場所に出た。小石以外にはなにもない殺風景な場所。山頂だ。猫紳士は丁寧に黒髪の乙女を下ろした。冷たい風が紳士の黒毛と、少女の黒髪をなびかせる。
 「恐らくお前の叔父__ターコイズは人魔にとりつかれている。私のような半端者ではなく、生粋の人魔にだ」
 「そんな! 早く助けなきゃ」
 一際強い風が吹き、彼女は慌ててスカートを押さえた。一方紳士はごくごく自然な動作で視線を逸らす。
 「そのための作業だ。根拠としては突然の豹変に加えて『奴は下級の人魔だ。勝てない相手ではない!』という言葉。人魔の位と実力を正確に見切ることは素人には不可能だからな......来た」
 猫紳士が指で示した先にはターコイズの姿があった。
 「くそっ、あの屋敷以外の場所であれば簡単だったものを」
 叔父の中から黒い霧がたち登る。それは猫紳士の数倍の身長を持つ巨人の姿をとった。
 「人魔になってはや数日、ようやく町にたどり着いたってのに封印の一族がいたせいで隠れているしかなかった。馬車の事故で厄介者が消えたと思ったら、利用するはずの人魔が娘に封印を解かれて大誤算。やることなすこと全部失敗しちまった。この苛立ち、貴様らで存分に晴らしてやる!!」
 紳士は少女を抱えて跳んだ。少し間を置き、地面に拳がめり込んだ。巨体ではあるものの動きが鈍く、猫紳士を捉えられない。地面に穴がいくつも空いたが、スーツに傷ひとつつけることができない。
 「ガキ共がちょこまかと!」
 巨人が苛立ち猫紳士を追いかける。数歩足を進めた瞬間、地面が激しく輝いた。
 「『封印の一族の名においてお前を拘束する!』」
 スピネルの宣言。山の魔力によって増幅された魔方陣と、封印の一族による言霊によって巨人が拘束された。
 「これは足止めの魔方陣、動けん! このガキ!」
 相手が罠にかかったのを確認して、猫紳士はターコイズの元に少女を下ろした。そして、ステッキのワイヤーを使い巨人の上へ登る。ステッキをもう一度カチッというまで捻り、銃口を頭頂に向けた。
 「待ってくれなんでもするからせめて封印だけにそれだけはやめて消えたくな―」
 ドスン、という鈍い爆発音が鳴った後、巨人はゆっくりと魔方陣に沈んでいった。
 紳士は崩れる巨人から飛び降り、華麗に着地。
 「人魔の倒し方はあの二人から聞いていたんでな」
 一方、少女に介抱されていた叔父が目を覚ました。
 「うぐっ」
 「ターコイズ叔父さん!」
 「お嬢様......儂はひどい、それはひどい夢を見た。妻の魂を手にもって『地下に封印された人魔を仲間にすれば生き返らせてやる』と人魔が儂を誘惑してきて、儂は......」
 「悪い夢だったね。でももう大丈夫。彼がついてる」
 叔父は紳士の姿を見た。それに気づくと彼はピンと伸ばした背筋を、礼儀正しく折り曲げ会釈した。
 「迷惑をかけました。儂の名前はターコイズと申します。えっと......」
 「ねこさ......」
 「黒猫紳士だ」
 「......紳士さま。心より感謝を申し上げたい」
 「礼なら彼女とその両親に言え。彼女の封印の力がなければ勝てなかった」
 「おおそれはそれは、お父さんとお母さんもきっと喜んでいるよ」
 その後、ことの顛末を町役場に伝えて事件は終息した。
 屋敷に封印されていた巨人型人魔の策謀によって叔父が操られ、少女の両親が殺されてしまった。だが、少女ととある紳士の活躍によって人魔は滅ぼされた、と町に報じられたのであった。



 「ターコイズ叔父さんがわたしの面倒を見てくれることになったの」
 「そうか」
 少女は唇を紅茶で濡らす。この客間におかれたインテリアは叔父夫婦が旅の途中で買ったものだ。文字通り憑き物が落ちた彼女の叔父は、あれから二日間もろもろの手続きを済ませていた。ターコイズは旅で見て触れた経験を生かし、骨董品や美術品を買い売りしてとてつもない利益を出しているのだという。彼女はこれから不自由なく暮らせるだろう。
 「あの......あなたはこれからどうするの?」
 猫紳士は窓の外を眺めた。昼の日差しのなか小鳥が飛んでいるのが見える。のどかな午後のヒトコマだった。
 「ニヴルという地方にある神殿を目指して旅に出る。理屈は省略するが私は同じ町に8日もいれば教会や社に人魔であることがばれてしまう。私は一ヶ所にはとどまれない。このあとすぐにで出発するつもりだ」
 「一緒につれてって!」
 彼女の眼は涙ぐんでいたが、強い決意に満ちていた。
 「......ねこさまと一緒にいると、安心するから」
 そう言うと少女はそっと猫紳士に身を委ねた。黒猫紳士は奥歯を噛み締める。机の下で握り拳が震える。決して短くない時間を置いてから、紳士は静かに口を開いた。
 「地下で生きてきた私に君は眩しすぎる。眩しくて目が開けていられない程だ。その輝きを汚すわけにはいかない」
 シルクで彼女の目を拭い、頭を優しく何度も撫でた。そして、意を決したかのように立ち上がりドアの前に立った。
 「まって」
 ドアノブを握ったまま制止する。だが、振り向きはしない。
 「ねこさま、お元気で」
 潤んだ声。
 「......」
 感情を押し殺して、彼は部屋を出た。しばらく進んでばったりと叔父と会った。
 「両親を失った今のお嬢様にはあなたが必要なんです。紳士さま、あなたまで行ってしまったら彼女は......」
 「ターコイズ殿。彼女は私の分まで泣いてくれた。私の言わんとすることを理解して送り出してくれた。あそこまで良くできた子を危険な目にあわせるわけにはいかない。ましてや私は人魔。この世界の敵、許されざる悪。旅先で事件に巻き込まれることは避けられない」
 微動だにしない猫紳士を見て、叔父はとうとう土下座した。
 「お嬢様は病気がちであまり家から出られなくて友達もいませんでした。自分の知らない世界へ旅立つことを夢見て、毎日のように観光本を読んではため息をつき......叶わない夢だと諦めていました。そんな彼女を見てご両親は彼女を遠くにつれていきたいといつも言っていたのです。お願いします。あんなことをしでかした儂が言える立場じゃないですが、せめてその償いとして彼女の願いを叶えてあげたいのです」
 「あの二人が......」
 「彼女を旅に連れていくというのは、叔母である儂の亡き妻の願いでもあるのです。残念ながら儂にはお嬢様の帰る場所を守るという使命があります。ここから離れるわけにはいきません。あなただけが頼りなんです。旅人の先人として儂も全身全霊で協力しますのでどうか! 彼女を連れていってやってください。紳士さま! どうか、どうかお願いします!」
 頭を何回も床に叩きつけて土下座をする叔父。その音を聞いて外の様子を見に来たスピネル。二人の号泣の前にはさすがの紳士も折れるしかなかった。
 そして二日後の朝。
 「どうかお気をつけて。改めて人魔の討伐、さらには儂の妻の墓参りまでしてくださり本当にありがとうございました。家は儂にお任せください!」
 「ターコイズ叔父さんもお元気で!」
 朝日のなか手を振る少女と叔父。その表情は明るく、一点の曇りもない。
 「紳士さまもお達者で! お嬢様をお願いします!」
 「この命に代えても。ターコイズ殿もお元気で」
 お互い姿が見えなくなるまで別れを惜しんだあと、別々の道を行く。黒猫紳士と少女スピネルは麓の町へ山を下り、ターコイズ叔父は家へと戻っていった。
 黒猫紳士は思う。スピネルは住み慣れた故郷を後にして旅に出る。旅は試練に満ちている。辛いこと、悲しいこと、取り返しのつかない失敗をすることもあるかもしれない。それでも彼女は進み続けるのだろう。まだ見ぬ世界を旅するという夢のために。
 黒猫紳士は彼女と共にあればどんな困難でも乗り越えられる気がした。
 二人の旅立ちに幸あれ。

黒猫紳士と黒髪少女 ~禁じられた色~ ショートショート

 「この国では生き物以外が持つ『青色』を禁止しているんです。あと、この国では火に非常に敏感なので火気厳禁です。マッチ等がありましたら滞在中預からせて頂きます。あと、出血をした場合は可及的速やかに包帯で覆ってください。『青色』はとにかく禁止されているので」
 そう、門番に言われて踏み込んだ町が一面真っ青だったときの衝撃は語るまでもない。民家の壁は青。屋根も青。道路にしかれている砂利も青。柵も青。綺麗に植えられている花の色も青。町にいる間はこれを着てください、と貸し出された服もちろん青。
 黒猫紳士は一瞬自分の目と常識を疑いそうになり、旅の相棒であるスピネルを見た。黒い髪と幼さ残る愛らしい顔は、黒猫紳士の目には異常がないことを物語っていた。
 「ねこさま、これって?」
 門番に言われた通りシンプルな青のワンピースに着替えたスピネルが言った。
 黒猫紳士は腕を組んで暫く考えたあと、門から伸びる大通りを歩き繁華街へと向かった。露天や食事所がひしめく繁華街に着くと(やはり青で統一されていた)、通りかかった通行人に話しかけた。真っ青のチョッキを着ている結構な美女だった。
 「『青色』とはどんな色なんだ?」
 「一般人がわかるわけないじゃん。禁止されてからすでに100年以上経ってるんだから」
 めんどくさそうに美女は去っていった。その後も何人か通行人に話しかけたが、有力な情報は得られない。気晴らしに商店街の奥に移動して呼びかける。今度は先程よりもさらに鮮やかな青のドレスに身を包んだ若い女性が近寄ってきた。軽く挨拶を交わして本題に入る。
 「失礼ながらお聞きしたいのですが......その服は他の国で青と呼ばれている色だとご存じですか?」
 「なんと無礼な!」
 「すみませんでした」
 一瞬女性は憤怒の表情をしたが、黒猫紳士と顔と身なりを見て直ぐに機嫌を直す。
 「......って、あーなんだ、旅人の方ね。滅多に来ないからそうとわからなかったの。いいのよ気にしなくて」
 さっきからスピネルが睨み続けてきている気がするが、黒猫紳士は意図的に目を逸らした。
 「もし、この町の『青色』が見たかったらそこの角を右に曲がって真っ直ぐ進んだところにある焼却炉を見るといいわ。忌々しい『青色』に溢れているから、焼却係りの人以外はまずいないけどね。私も中に入ったことはないし、『青色』がどんな色かは知らない。でも、あんな所へ行くぐらいならレストランにでも立ち寄った方がよっぽど有意義よ。どう? ご一緒しない?」
 「お言葉は嬉しいのですが、が今はちょっと......」
 女性はズボンにしがみつくスピネルを見て事態を察したようで軽い挨拶をして去っていった。
 「さっさと行きましょう!」
 吐き捨てるようにスピネルは言うと、長い黒髪をたなびかせながらズカズカと歩き始めてしまった。
 「待ってくれ」
 「待たない!」
 「悪かったから、謝るから」
 「何を!」
 「女の人ばかりに話しかけたことだ」
 ばっとスピネルが振り返った。バサッと黒髪が舞い、その奥から彼女の鋭い眼光が見えた気がした。どうやら本気で怒っているらしい。
 「すまなかった」
 頭を下げた黒猫紳士に、スピネルは笑顔で近づいてきた。そして耳元でこうささやいた。
 「ねこさま、今夜尻尾の付け根サワサワの刑、ね」
 「いや、本当に悪かったから!」
 「あ! ねこさま、あれが焼却炉じゃない」
 スピネルは懇願を無視して、煙突のついた青色の四角い施設を指差した。周囲を木々で囲まれており、町から隔離されている。その上、窓の数が異様に少ない。施設の中にあるものを隠したい、という思いが痛いほど伝わってくる。
 施設の側面に出入り口らしきものがあった。
 「さ、行きましょう。ねこさま!」
 スピネルは一転して異様にご機嫌になっている。そんな彼女の姿を見てようやく、スピネルに嵌められたことに黒猫紳士は気づいた。
 出入り口の扉を開けると、長机と椅子だけの簡素な受付があった。壮年の男が暇そうに本を読みながらあくびをしている。床も壁も全部青で塗られており、何となくドライな気分になる。
 壮年の男がこちらに気づいたようで、慌てて立ち上がった。用件を黒猫紳士が伝えると男は首をかしげた。
 「『青色』の見学、とは? いくら旅人とはいえ、あんな不快なものを見て何になるんですか? わざわざ国中の建物を塗り潰してまで避けている色ですよ?」
 その質問にはスピネルが答えた。
 「この町の『青色』がどんなに不快かを知れば、旅人であるわたしたちにもこの国の人の気持ちがわかると思うから見にきたの」
 「なんと立派な。きっとこの子は思いやりのあるいい子に育ちますよ」
 壮年の男は大袈裟に笑った。対して黒猫紳士は先程のやりとりを思い出してひきつった笑みを返した。
 「ついてきてください。受付はほっといていいんです。どうせ誰も来ないし、貴重品ロッカーは『青色』の部屋の奥にあるので泥棒は入りたくても入れませんしね」
 男はリングにくくりつけた大量の鍵を机から取り出し、部屋の奥の扉を開けた。まず右へ曲がり、奥へ進むと右に曲がり......という風に延々と右に曲がりながら施設内を進んでいく。実は渦状に道が配置されており、厄よけの魔方陣と同じような意味があるらしい。その理由はただひとつ、『青色』を封じ込めるためだ。
 体感的にだんだんと中心に近づいていることを感じる。スピネルはこの先に何があるのか興味津々といった様子だ。町中の人々が忌避するものを見に行くとは思えないほど目がきらきらしている。元々精神的にタフだったのに旅を通してさらにタフネスになってしまったらしい。
 そんなことを考えているうちに、とうとう最後の扉にたどり着いた。
 「さて、覚悟はよろしいですか。引き返すなら今のうちです。後悔してもしりません。ここまで来たら退くわけにはいかない、という意地でここに立っているのならどうかお引き取り願います」
 「わたしは行く。なんと言われようと」
 「私は見るぞ。その奥を」
 二人の決意を汲み取り、壮年の男はゆっくりと頷いた。そしてもう一度確認をとったあと扉に鍵を差し込み回した。
 「本当に後悔しませんね」
 鉄の擦れる重苦しい音と共に、扉が開いた。
 奥にはあったのは......
 「あー」
 スピネルのほっとしたような、ガッカリとしたような、気の抜けた声。
 「そういうことか......」
 黒猫紳士は納得した。なぜ、この町が青で塗りつぶされているのかを。
 「見てください! 一面『真っ青』です! これを見て正気でいられますか!?」
 不快感を全開にする受け付けの男。その視線の先には一面火の赤、赤、赤。上から焼却炉へ投下されている物体も、レンガや赤の衣服といった、赤色の無機物だった。二人はなんとも言えない表情で受付まで戻った。
 「わかったでしょう。この町の人がなぜ『青色』を嫌うのか。あの色は脳に作用して本能的な不快感だとか恐怖とかを呼び起こしてしまうんです。その上目に焼き付いて離れない。ああ気持ち悪い」
 「こんな職場で働くなんて大変ね。ここの職員さんもそう。でもこうして頑張っている人がいるから、町の人は『青色』から離れて平和に暮らせるのね」
 「まあ、その分高い給料もらってますからな。ハハハハ」
 その後幾ばくか話した後、焼却炉から外に出た。青に包まれた町が、焼却炉の赤と混じりあい灰色に見えた。
 「ねこさま、この国では赤色のことを『青色』って言ってるけど、どちらが正しいのかな?」
 「さあな。名前など時と場合によっていくらでも変わる。例えばスピネルの故郷で『お湯』と呼ばれているものが、私の故郷では『熱い水』と言う文化がある。文化だけではなく役割によっても変わることがある。同じ水でも手を洗う用の水だと言ったら『手を洗う用の水』になるし、飲み水だと言えば『飲み水』になる」
 スピネルは少し考え込んだ後、続けて質問してきた。
 「うーん、それじゃあ、わたしたちが見ている色とこの国の人が見ている色って、同じ色なんだよね?」
 「わからない。スピネルが痛みを感じたとき、私の感じる痛みと同じであると証明する手段がないように。......大切なのは異なる文化を理解した上で受け入れることだ。互いに譲歩して、双方がウィンウィンになるつきあい方を考えることができたら素敵だと思わないか? もっともそれができれば苦労しないがね」
 町に戻って改めて建物を見回しても、やはりスピネルたちの目には青にしか写らないのだった。

黒猫紳士と黒髪少女 ~蟻人~ ショートショート

 草原の奥に町の外壁が見えてきた。町だ。昼のうちに着いてよかった。途中スピネルが疲労で動けなくなったときはどうなるかと思ったが。
 黒猫紳士は身なりに不備がないかを確認する。靴、靴下、ズボン、スーツ、ネクタイ、顔。そして決して手放すことはない真鍮性のステッキ。......旅行鞄が汚れているのに気づき適当な布で拭き取った。
 「スピネル、もうそろそろお互い身なりを確認しよう」
 「わかった」
 スピネルは長いお下げをフワッとなびかせながら砂避けのコートを広げた。白いシャツ、黒いスカッツ共に小綺麗に整えられていて、ブーツについた泥や汚れも許容範囲内だった。
 「ねこさま、今度はまともな宿かな。白くて清潔なベッドが恋しい。わたし、もう疲れてくたくた......」
 「ああ。噂によれば仕事好きで綺麗好き、その上平和な町らしい。私もいい加減床に寝るのにも飽きてきた所だ」
 「猫なのに?」
 「私は家猫派なんだ」
 検問には門番が一人いた。蟻頭の兵士だった。武装してはいるものの、装備が使われた形跡がない。
 「ええ。いい町ですよ。誰もが自分の与えられた仕事に満足して過ごしています」
 「誰もが? 一人残らず?」
 「ええ。行けばわかりますよ。人類みな兄弟です。歓迎しますよ」
 人類みな兄弟、その言葉の意味がわからないまま黒猫紳士とスピネルは町へと踏みこむ。
 門が開くと立派な顎髭を持つ、やはりアリ頭の男が出迎えた。
 「ようこそいらっしゃいました、旅のお方。私はこの町の町長へヴィーと申します」
 「わたし、スピネル!」
 「お初にお目にかかります。私は黒猫紳士ともうします」
 「敬語は結構。町長と気軽にお呼びください。さあどうぞ、こちらへ。お嬢さんお腹は空いていますかな?」
 「ええ、もうペコペコ!」
 「そうですか、そうですか。でしたら食事所を手配しましょう。近辺でとれる新鮮な野菜を使った料理が食べられます。宿もこちらで用意しましょう。もちろんタダで止まれます」
 国交が盛んではないこの地方では旅人は歓迎されることも多い。他国の情報を知るための貴重な情報源であるからだ。だが、それにしてもこの優遇っぷりには黒猫紳士も少し気が引けた。
 「いいのか?」
 「旅人を歓迎するのは昔からの習わしでして。人類はみな兄弟ですから。それに私たちは働くのが大好きなんです。地下の終身労働場でもみんな生き生きと働いていますよ」
 町長はにこりと微笑んだ(もっとも蟻なのでわかりずらかったが)。その態度から嘘偽りは感じられなかった。黒猫紳士は妙な違和感を一旦頭の片隅に置いておくことにした。
 スピネルは久しぶりに携帯食以外を食べれることで頭がいっぱいになっているようでそんなこと気にもしていなさそうだった。
 煉瓦作りの道。道路脇の柵越しに見事な畑が見える。きっと腕のいい小作人がいるのだろう。
 「女性はいないのか」
 「一人だけいます。女王と呼ばれていて私たち全員の親であります。やはり、蟻ですので」
 黒猫紳士とスピネルは町長自慢の食事を堪能した後、宿屋へと案内された。やはり煉瓦作りの建物だ。受付を通り抜け、二階にあるかなり広い部屋へと移動する。部屋着に着替え、白いベッドに飛び込むスピネルを見て、思わず頬が緩む。大きな窓を開けると上には夕焼けになりかけの空、正面に三階建ての住居、そして下には活気溢れる商店街が見える。
 この町の人々はみんな働き者らしく、宿屋のルームサービスもしっかりしていた。蟻は蟻でも働き蟻しかいないようだ。掃除もなにもかも行き届いている。特別待遇ということもあり、最近訪れた町の中でもトップクラスに快適だ。
 「甘さ控えめの蜜があんなに美味しかったなんて」
 「ああ。あの得たいの知れない動物(?)の塩焼きも一際美味しかった」
 「何の動物か明日聞いてみましょ」
 スピネルは備え付けの本を読み(本の表紙は名言事典だった。数分後にはうたた寝してたが)、黒猫紳士は日課である毛繕いをした。そうこうしているうちに、外が暗くなっていった。
 風呂上がりに黒猫紳士がベッドの上で杖のメンテナンスをしていると、背後からスピネルが覗きこんできた。
 「ねこさま、絶対にステッキとどこでも一緒なのね。さっき風呂にまで持ちこんでたでしょ」
 「立場上、いついかなるときも武器を手放すことはできないからな。それに、この杖には特別思い入れがあるんだ」
 内部の機構に不備がないか確認し、潤滑油を挿す。防水とはいえ気が抜けない。杖に埋め込まれたワイヤー射出機構はメンテナンスを怠るとすぐにダメになる。それにこの杖は旅の目的であるニヴル地方で重要な意味を持つことになる。失うわけにはいかない。
 そして、深夜。
 物音で起きた。黒猫紳士は猫人であるが故に、嗅覚や聴覚、暗闇で動くものに対しての視野は人間より優れている。だからこそ、賊の侵入に気づくことが出来た。二人だ。猫紳士は暗闇の中ステッキを振るい、的確に刺客を打ち倒した。大きな音でスピネルが飛び起き、鞄を抱え黒猫紳士の側に寄る。何者かが新たに五人。窓の外には無数の人の気配。宿屋全体が囲まれている。きりがない。
 緊迫した雰囲気の中、なんとへヴィー町長が顎髭をいじりながら部屋に入ってきた。両眼が不気味に光っている。
 「何をする気だ」
 「あなたたちを地下終身労働場へ連れていくためです」
 「なっ......」
 黒猫紳士とスピネルの反応を見てへヴィー町長は悲しげな表情をした。
 「なぜか旅人の方はあそこに行くのを嫌がるんです。働ける上に兄弟貢献できるというのに」
 「貴方たちの言う兄弟とはなんだ?」
 「私たち人類は親を辿っていけば同じ祖先を持ちます。全ては原初の海の最初の一匹にたどり着くのです。であるならば! 私たちはみな兄弟です。そして兄弟ならば! 家族全体を存続するために兄弟の幾人かが人柱になるのは致し方のないこと。さあ、地下へ! 終身労働場へ行きましょう。あなた方の犠牲で町人全員が幸せになれるなら、これほど名誉なことはないでしょう?」
 スピネルが驚愕の表情のまま固まっている。黒猫紳士も驚きを隠せなかった。町長の言葉にその場にいる全員がほんのちょっぴりの疑念も抱いていない、といった様子で頷いたからだ。
 「私たちは貴方たちの家族に加わるつもりはない!」
 黒猫紳士はスピネルを抱えつつしなやかに跳躍。町人を踏みつけ窓を蹴破りワイヤーを射出。宿舎の対岸にあった建物の屋上に引っかけ脱出した。

 「町長、彼ら逃げましたね。なぜ、逃げたのでしょう?」
 「わからない。人類みな兄弟なのに。だが、逃げてしまったものはしょうがない。誰が行くか決めなければ」
 その場にいる全員が一斉に手を挙げた。
 「私が」
 「俺が!」
 「うちが行きます!」
 「いや、ここは俺の兄弟が!」
 町長は満足げに頷いた。
 「うんうん、やっぱり普通そうなるよなぁ。となると家庭環境、職場環境、年齢、仕事適正等々を加味してこの中でもっとも労働場に適しているのは......よし、私と今年十四になる息子が労働場へ行こう! 今期で町長を終えるし年齢的にもいい頃合いだ。息子もそろそろ職についていい頃合いだ。私たちの犠牲でみんなが幸せになるのであれば私は嬉しい。とても喜ばしいことだ」
 「じゃあ、盛大に送り出さなければなりませんね。なにせ労働場からは二度と出られませんからね!」
 「そうだな! 家族のため過労死するなら本望だ。はっはっは」
 町長に続いてその場にいる人々が笑い始めた。

 黒猫紳士は聞き耳を止めた。町の本質が掴めたかどうかはさておき、これ以上は危険だろう。追っ手がいないのを確認して脇にかかえたスピネルを背負い直す。
 「このまま脱出するぞ! スピネル。城壁をワイヤーで越える」
 「ねこさま、怖い。あの人たちから何の罪悪感も感じられなかったの。わけがわからない」
 「ああ。文化の違いって奴だ。彼らは仕事が楽しくて仕方ないのだろう。自分が町のために犠牲になることに対しての抵抗もない。それを世界の常識だと思ってる。だからどんなに過酷で不条理でも与えられた仕事に満足できるし、旅人にも強要する。そして、何の技能も持たない旅人は十中八九強制労働場送り、か」
 「この世にはすごい価値観があるのね......。就職先を選べない上に、仕事で死ぬことすらある過酷な環境なのに、みんな幸せそうだった」
 「ああ。生活様式も仕事の形態も倫理も価値観も千差万別だ。この地方では特にな」
 ワイヤーを城壁の頂点に引っ掻けて、体を引き上げ脱出した。夜風が身に染みる。一瞬嗅いだ焼き魚の臭いが忘れられない。せめて一晩休みたかった。寝られないのはやはり精神的に辛い。スピネルの疲労も限界だろう。
 「ふぁ~あ、あの白くて清潔なベッドが恋しい」
 「まあ、まともな宿に止まれたな。町も噂通りだった」
 思わず強い口調で皮肉を言った黒猫紳士は対して、スピネルの反応は意外なものだった。
 「ねこさま、苛つくのはお門違いだと思う。『価値観を強要することなかれ』、って宿の名言事典に書かれてた。わたしたちも、あの国の人たちに価値観を強要してはいけないと......わたしは思うの」
 はっと立ち止まって背後のスピネルの顔を見つめた。旅に出た時とは比べ物にならないほど凛々しい表情だった。
 「......成長したな、スピネル」
 黒猫紳士の言葉は闇に溶けていった。