フゥルの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

とりあえず見られることは意識する

(下記は私にも勿論適用されるので、『時間の無駄』だと思ったらこの記事に関わらず、すぐにブラウザバックを推奨します)


 作品においての自己投影と言うものがある。とりあえず小説に関してのみに言及しておく。

 ヒーローのように活躍して、皆から称賛されて、世界を救って、劇的に死んで、皆から死を嘆かれたい。子供じみた欲求ではあるが、これが作品を作る活力になったりする。
 ただ、あんまりそれが過剰すぎると、『メアリースー』に似た、ご都合主義や自己満足を多量に含んだ、非常に痛々しい作品となってしまう。


・意味もなく称賛される。(あなたが称賛されたいだけ)

・俺様つえぇー、と無双するだけで読者のことを一寸も考慮していない雑な展開。(あなたがそれをやりたかっただけ)

・伏線のない主人公の覚醒などのご都合主義。(普通に考えてありえない)

オッドアイ等の日常生活に支障のでない他の登場人物とは違う身体的特徴。しかも物語においても演出上でも重要でない。(カラコンですか?そうでもしないとキャラの区別が出来ないんですか?あなたのキャラの魅力はそんなもんですか?)

 などなど他にも沢山。


 作品つくって自己満足に浸るのであればワザワザ公開する必要はない。公開するということは必ずどこかに自己顕示欲があり、称賛欲求があり、なにかを欲している。
 他人に見られるとモチベが上がるとかならいい。
 ただ、他人から称賛されたいと思うのなら最低限第三者の気持ちを考えて、一歩引いて客観的に自分の小説を見れるようになったほうがいいと思う。(とりあえず私は自分の作品に対して辛辣な突っ込みを延々と繰り返してる)
 小説はあくまで他者に見せるものであるから、自己満足『だけ』になってはならないし、他者にとっても面白くあるように意識しなければならない。
 読者は小説を読んでいる間、時間を浪費している。時間の消費に見合った作品でなければ、読者は『時間の無駄』とバッツリと切り捨てていくはずだ。絵などの画像媒体と違い、文章を読むのはそれなりに時間がかかる。その分、『時間を無駄にした感じ』は強い。
 私は読者にはそういう思いをして欲しくない。

 だから、何かを投稿する時には常に『他人に見やすく』『他人にわかりやすく』『他人に面白く』を考えて、少なくとも大多数の人に『時間の無駄』とか思わせる作品は避けるべきだと思う。
 大多数の人に『時間の無駄』と思わせる作品は突き詰めると

・小説や物語においての客観の欠如(内々同士)

・何がダメなのか知らない(メアリースーや一次創作においての禁忌をそもそも知らない)、

・そもそも文法がおかしい

 といった、普通に知ってて意識していれば避けられることばかりのはず。
 とりあえず自分の世界に浸るのは由にしても、それを他社に見せる以上は最低限の礼儀を払わなきゃいけない。


 とりあえず? や! の後は直後が」でなければ1マス開けなきゃいけない。

 あと誤字脱字も頑張ってへらさなきゃいけない。

 

 常日頃からそう考えるフールでした。

幻覚の逆三角形 短編小説

 トワイライトトライアングル(以下T-Tと記す)はわたしが見てきた中でも特に異質な物質? だった

『××村の東の洞窟に入った男女二名が帰ってこなかった。捜索隊が派遣されたが、帰ってきたのは一人だけだった。その一人は錯乱しており、交通事故に会った、昔死んだ恋人がもう一度死ぬ体験をした、などと訳のわからない供述を述べた。過度の精神的ストレスにより錯乱しており……』

 私は新聞のスクラップの貼ってある手帳を閉じ、目の前の巨大な黒い穴に目を向けた。
 私は好奇心からその洞窟に侵入した。ある地点に村人らしき遺骸があり、その場で解剖し検死した結果、脳神経が変性、繊維化を起こし死んだものと推定された。
 訳がわからず私は先へと進んでいく。道中動物の遺骸もあったがその全てが脳神経の繊維化による変死だった。一部生き残っている動物もいるようだが、何かに怯えているかのように洞窟の奥へは進みたがらない。

 さらに進むと、ネズミがフラフラ通路のど真ん中を歩いてきた。普通なら光や音に敏感に反応して逃げるネズミだが、今私の目の前にいるネズミは全く私に意を介さず、フラフラと洞窟の外へと向かっていった。

 その他にも数匹のコウモリやネズミや蛇が洞窟の外へと、まるでゾンビであるかのようにゆっくりと力なく向かって行くのに遭遇した。

 私はちょっぴり怯えながら、さらに洞窟の奥へと進む。
 洞窟の一番奥の巨大な空洞に、奇妙な物体が空中に浮かんでいた。
 金色を基調に七色に発光する逆三角形。その三つの先端に同じく七色に輝く正三角形が三つついている、というなんとも奇妙な形状だった。
 私はどんどんその物体へと近づいていった。
 そして、半径十メートル以内に侵入した時、その物体の輝きが増した

 目眩がしたと思ったら、私は架空の都市にいて、国民全員から追跡を受けて行きも絶え絶えになっていた。それまでの洞窟での記憶は消え、なぜか『とある国を訪れて、そこで罪を犯し全国民から追跡されている』と思い込んでいた。国民の追跡は執拗で、自分の身を削りながらひたすら逃げてやり過ごした。
 最終的に海に飲まれることで、生存していたかどうかは別として追跡から逃れることが出来た。

 その瞬間、目の前に先程の三角形を4つ合わせた物体がが現れた。気づくと洞窟に戻っており、私の記憶も復活していた。私は幻覚を見せられている時に数歩後ろに後退したのか、あの物体から目算十一メートル離れた位置に立っていた。どうやら幻覚を見せられており、夢遊病と似たような感じでフラフラとこの場を歩いていたらしい。
 
 私はあの物体の名前を仮に、トワイライトトライアングル、略してT-Tと名付けた。
 
 後にT-Tを目視し生き残った人にインタビューを繰り返した結果、T-Tはどうやら半径十メートル以内に近づいた対象者に、対象者過去の恐怖体験を元に作られた幻影と記憶改竄を行うようだ。

 幻覚内では自分の等身大の力を使うことができる。また、幻覚内で見つけた器物を利用もでき、どこまでもリアリティを追求した幻覚だった。
 私の場合はかつてチュリグ国という国で実際に巻き込まれた追走劇の記憶を元に、状況をさらに悪化させたような幻覚を見せられた。幻覚内の疑似体験にも関わらず、目覚めたあと自分の心身は大いに疲労していた。

 対象者はごくごく自然な流れで幻覚内の出来事に遭遇したと思い込むらしい。幻覚を見ている間は現実ではT-T のそばをうろうろしており、T-Tに近づくほど幻覚からの脱出が困難になり、逆に離れるほど幻覚から逃れる可能性が上がる。このT-Tと対象者の距離は幻覚内の出来事とリンクしているようだ。

 そして精神及び肉体的に幻影内の恐怖体験を乗り越えなければ、対象者はT-Tに接触してしまい、T-Tからの圧倒的な情報量に脳神経が耐えきれず死ぬ。
 末期症状として光を求めて洞窟の外へと向かう。もっとも、その前に死んでしまうのだが。

 数回の動物実験の後、T-Tの幻覚は非常に危険であると判断した。生存率が低い上、生存したとしても精神に異常をきたす可能性が高い。
 破壊すべきだと考えたが、T-Tは半径十メートルに渡り高濃度のバリアを展開しており、破壊できなかった。移動することもなく、空中に静止しているだけなので、このまま放置しておくことにする。
 興味深い経験だったが、二度とこんなのは御免だ。

小説を書いている時の考え (メモ


 ○小説を書いている時の心持ち

 創作することは好き。けれども楽しいことだとは思ってない。むしろ辛いことの方が多い。

 この小説は読まれるのだろうか。読まれたとして読者にとってこの作品は面白いと感じるのだろうか。常日頃からその不安と戦いつつ、小説を書いている。

 ぶっちゃけ言うと、私は自分の作品を面白いと思ってない。面白いとされる話の作り方や文章とは何かを考えながら書いているけれど、それが自分で読んでいて面白いかと言うと答えはノー。頭のなかで何度も反復して読み直して、一話書き終える頃には飽きてしまっている。

 だから客観的に自分の作品が面白いか判断出来ない。

 しかも、一話目を書いたら嫌でも完結させなければならない。一人でもその作品に対して読者がいれば、中断することはその人を裏切ることになるから。
 だから読まれているかどうかもわからない作品を延々と書き続けることになる。
 完成されたとしても、こんなの誰が読むんだと思いつつ、投稿する。

 投稿したあとにコメントがもらえたときや評価がついたときはちょっとばかり嬉しい。というかそれが原動力のすべてといっても過言じゃない。

 でも評価をもらっても、やっぱり自分の作品が本当に面白いかどうか不安で仕方ない。読者の貴重な時間を奪ってまで、読まれるに値するものを自分は書いているのか、常に自問自答しながら小説を書いている。




 ○キャラの設定に対して

 キャラクターにも実はあまり愛着を持ってない。だから設定語りや自分語りをしない。

 なぜかと言うと私のキャラクターの設定自体には全く魅力を感じないから。

 読者は他人のキャラになんか元々興味はない。もし、興味があるのであればキャラの設定資料『だけで』本編なんか存在しなくても飛ぶように売れているはず。しかし、実際に売れているのはゲームやアニメとか各作品の設定資料。原作の存在しない設定資料は、創作用の参考資料かほとんどで、作品として読むものじゃない。

 初めて読む読者にとって、ほんの少しでも興味があるのはキャラの活躍する作品本編。作品に登場するキャラの設定そのものには興味はない。大概の読者は作中で生き生きと動き回り、活躍するキャラが読みたいのであって、キャラの設定を読みたいのではない。

 だから私は私のキャラを語ったところで自己満足にしかならないと思ってる。私の場合はキャラそのものには興味ないので自己満足すらない。だから設定を書かない。

 わずかに存在するキャラクターシートも純粋に資料としてしか作ってない。設定も最小限で、今後の創作に必要のないものは極力省いている。誕生日や身長、体重、スリーサイズ、は実際に小説に生かされることはまずないからだ。生かすにしてもあらかじめ決めておくと、設定が邪魔になってしょうがなくなる。必要な時に決めればいいと思っている。


 また、他の作者さんが使いたいと言ったときは、設定ガバガバのままキャラの絵を投げて、質問があれば適当に答えて、基本は相手に合わせるようにしている。

 私が細かい設定にこだわった所で、いい作品が出来るとは限らないと自覚しているから。



 以前は私は自己満足のために小説を書いていた。自分の書きたい文章を書いてやりたい小説を書いていた。でも見直すと物語として重要な要素がかけていたり、そもそも読みづらかったりで話にならない。

 今は読者に読ませられるようなものを書こうと頑張ってる。ブログに小説や創作を投稿する時点で、人に読まれること前提で読んでいてためになる、あるいは面白い小説を書くのが大前提。

 今後の目標はそれを満たせる小説を完成させることかなぁ……