フゥルの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

黒猫紳士と黒髪少女

 橙色の空、果てしなく続く草原に、女の悲鳴が響く。女を庇おうと全力で走り出すが、決してたどり着くことはない――。

 いつもの夢から目覚めた。

 屋敷の地下、本棚で埋め尽くされた暗い地下室。消えることのない松明が心もとなく本棚を照らしている。部屋の中央をチョークで描かれた魔法陣が陣取っている。長い間この光景がすべてだった。

 唯一ある扉からカツカツと軽快な足音が聞こえ、目を覚ます。やがて足音はどんどん大きくなり、バンっと勢いよく扉が開いた。転がり込んできたのは、黒髪の少女。白いシャツに黒のプリッツスカートを履いている。少女は顔を痛そうにしかめながらも、力任せに扉を閉めた。錠前に鍵が刺さるまで何度も押し付け、ようやく鍵を閉めたようだった。

 突然の出来事に頭が追い付かない。

「ぜぇ……ぜぇ……。ターコイズおじさん、どうして……」

 少女は長髪をゴムで束ねるとポケットからしわくちゃになった紙を取り出す。魔法陣と見比べつつ、図に線を付け足していく。画材は指から染み出てくる鮮血。

 ドアから乱暴な靴音とうなり声が聞こえてきた。

「スピネル、仲間になれ、仲間になれ」

 扉が激しく揺れる。思わず少女に手を伸ばしたが、見えない壁に激突した。

 少女がこちらを見て体を震わせる。一瞬おびえたような表情を浮かべた。しかし、扉から金具のきしむ音に、首を振り、小さい口を大きく開いた。

「封印の一族の名において宣言する。この世界の敵、許されざる大災厄、人魔! 今こそ封印から解き放たれ、我を加護せよ!」

 少女はソプラノの声を響かせながら、紙を魔法陣に投げた。彼女の血で赤く染まった紙が接地すると同時に、魔法陣は消え去った。

 封印が解けたことでこの身が実体化する。

 モーニングコート及びウェストコートよし。手袋よし。ネクタイ、胸ポケットのスカーフよし。オールシーズン対応の灰色のズボンも着崩れしていない。平衡感覚を司る髭も、こだわりの黒い毛並みも万全。

 そして腰のベルトに刺してある、何より大切なステッキも、異常なし!

「黒猫の……紳士……さま!? 助けてください!」

「もちろんだ」

 少女はようやくこの姿を認識したらしい。恐怖と混乱がないまぜになったような顔持ちだった。

 扉を打ち破って、剣を持った男たちが流れ込んできた。最後尾に豪華な服装をした初老の男。だがどうも様子がおかしい。顔が青白く、青色の血管が顔に浮かび上がっている。

 少女は壁際まで逃げると、しゃがみこみ、腹を抱えてガタガタと震え始める。

 黒猫紳士は剣士たちと少女の間に割って入った。初老の男が口を開く。厳格ではあるがどこか空虚な響きの声だった。

「少女を渡せ。さもなくば我々の仲間になれ」

「断る。紳士は助けを呼ぶ者に手を差し伸べるもの。貴様らには指一本触れさせん」

「残念だ。不死の素晴らしさがわからないとは」

 初老の男の号令で、周囲の剣士たちが展開した。黒猫紳士は背筋を伸ばしたまま、ベルトからステッキを引き抜く。一人目の剣をステッキで打ち流す。

「力は逸品。しかし、技術なくして勝利なし」

そのままわき腹に先端をめり込ませる。続く剣撃を一歩引いてかわし、足払い。杖で頭を打って気絶させる。猫を彷彿とさせる軽やかなステップは、剣士たちを一切寄せ付けない。流れるような動作で、剣士たちを制圧していく。

最後に、あとずさりする初老の男の首へステッキを突き付けた。

「殺さないで!」

「安心しろ、全員生きている」

 後頭を打つと、初老の男はがっくりと膝をつき、昏倒した。

「大丈夫か?」

 猫の紳士は少女の前で膝をついた。サスペンダーをただし、シャツについた埃を払うと、汗をシルクで拭う。最後に震える手をそっと握った。

「ありがとう。わたしはスピネル。でも、ごめんなさい。今あなたにしてあげられることは何もないの」

「封印を解いてくれただけで十分だ。それは、あの両親の娘である君にしかそれはできない。もし、それでもお礼が言いたいのなら君の親に言ってくれ。これは単なる恩返しだ」

「お父さんとお母さんは……遠いところに言っちゃったの」

 黒猫紳士は絶句した。あまりのショックにぽっかりと穴が開いたような気分だった。本を与え、紳士としての心得を説き、暴走する精神を制御する術を教えてくれた上、人の心をよみがえらせてくれた、唯一無二の親友にして師にして第二の親。それが彼らだった。

「そうか……あの二人が……」

「わたしも……もうすぐお父さんとお母さんのところへ……」

 スピネルの目線を追うと、鮮血で描かれた足跡があった。そして、今も血だまりが少女の足元で広がりつつある。蒼白な顔には精気が感じられない。

「まさか、自分が助かるためではなく。この私を開放するためだけにここまで来たのか!?」

「だって、あなたはお父さんとお母さんの大切なご友人だもの……」

 出血はひどいが傷自体は深くないようだった。黒猫紳士はいったん上着と手袋を脱いだ。続いて腰に巻いたコルセットを外す。シャツを爪で破き、包帯代わりにスピネルの腹に巻く。さらにコルセットで補強した。

「どうだ? 少しは楽になったか?」

「ねこさま、ありがとう」

 笑顔を浮かべたスピネルが飛びついてきた。動揺を隠し、彼女をそっと突き放す。

「私はかつて人に大いなる災いをもたらし、封印された人魔だぞ? それを『ねこさま』だと? 怖くないのか?」

「だって、見た目はただの猫人だもん」

「せめて黒猫紳士と――」

 少女は「あ、そうだ」と話を遮り、倒れた剣士たちの安否を確認しに行こうとした。が、すぐに反転し黒猫紳士に駆け寄った。

「ねこさま、あっあれ!」

 剣士たちがまるで糸に吊られた人形のように、ゆらりと立ち上がった。しかも、ステッキによってついた痣が見る見るうちに消えていく!

「なぜ仲間にならない? 死の恐怖から逃れられるのに」

 黒猫紳士はスピネルを強引に脇本へ抱えた。

「痛っ!」

「逃げるぞ」

 部屋から出て螺旋階段を駆け上がる。階段の壁には五枚の花弁を持つ白い花、イヌシラクサが等間隔に飾られている。

「あれは、なんなの?」

「彼らから微弱だが私と同類の魔力を感じた。恐らく人魔の力による変質だろう」

黒猫紳士は先ほどの戦いがきっかけで思い出した、『対人魔防災危機管理マニュアル第三版』の一節を口にした。

「魔力は精神活動などによって活発し、人の肉体や外界に変化をもたらす、生活になくてはならないエネルギーである。しかし、精神が強いストレスを受け暴走すると、魔力もまた制御不能となり、自身の肉体と精神に破滅的な変化をもたらす。そして異形化した精神がさらに魔力を暴走せる負のループが出来上がる。ほとんどの人はその段階で死ぬが、まれに生き残ることがある。その場合、強大な魔力を自らの願望のためだけに振るう人魔となってしまう」

「よくスラスラ出てくるね」

「昔、人魔討伐を志す組織にいたことがある。今でもそういう組織は存在するのか?」

「『天使』と呼ばれる組織がある。でも、現地に到着するまでに、人魔発生から三日は要するって……」

「ずいぶん早くなった。私が生きた時代では、人魔が死んでから到着するのが当然だったのに」

 気が遠くなるような段数を上ると、金属製の扉があり、開けると倉庫に出た。木箱と木箱の間を通り抜け、倉庫から飛び出し、屋敷の中を疾走する。絵画や小物が飾られているが、鑑賞する暇はない。

「ねこさま、突き当りに窓!」

 ステッキで窓を割ろうとした時、体が動かなくなった。何事かと手元を見ると、細かく震えている。外の世界を潜在意識が恐怖しているのだ。地下に自由などない。でも心のどこかで「不便だがまあいいだろう」と思っている自分がいる。「うまくいきっこない、どうせ無理だ、危険すぎる」そんな、変化を恐れる本能の叫びが聞こえてくる。

 変化を恐れるな。根拠なき恐れに屈するな。

「ねこさまも気になるのね。もしかしたら、屋敷の中にまだ生き残りがいるかも」

「なら、なおさら早くこの元凶を倒さねば」

 こんな状況でも、スピネルは他人のことを考えている。黒猫紳士は自分を恥じた。そして、ようやくステッキで窓をたたき割ると、屋敷を脱出した。

 暗い夜空に茜色がのぞいている。夜明け前の冷たい空気が肌をなでる。新緑の香り、土を踏む感触。生きて外に出られた、その事実だけで黒猫紳士は感極まって泣きそうだった。屋敷は山の斜面に建っており、少し進めば麓の街を見下ろせそうだった。一方背後は崖で、素直に山道を通り、山頂へ上るには大回りするしかない。

 黒猫紳士はスピネルを下と、胸ポケットから折り畳み式双眼鏡を取り出し、街を一望する。

 二重の意味でショックを受けた。一つは、封印される前に見た自身が知る街の姿と、今眼前に広がっている街――マデクーン国に共通点が何一つなかったこと。もう一つは、先ほどの剣士のような青い血管が浮き出た町人であふれかえっていたことだ。そのうえ登山道から相当数の人がこの山へ入り込んでいる。しかも、地下で戦った時よりも足が速くなっていた。このままでは追い付かれる。

 ただ一つの救いは、彼らは組織だった行動はせず、ただ見つけたそばから人を襲う、という一点のみだった。

 スピネルが双眼鏡を覗こうとしてきたが、首を横に振り取り上げる。何が見えているのか察したのか、スピネルは拳を握りしめ、震える声で言った。

「ねこさま、できる限り早く勝つ、具体的な手段はないの?」

「暴走した肉体は長くは持たず、通常、能力を発揮してから長くても一週間で自滅する。人が変化したものであるから物理的な攻撃も有効だ」

「でも、今回の人魔は不死身じゃ?」

「頭がさえているな、スピネル。その不死の能力そのものを封じてしまえばいい」

 猫紳士はスピネルをいったんおろしてから、彼女をおんぶし、屋敷の背後にある崖へ向かって駆け出した。

「どこへ行く気?」

「山頂。魔力濃度の濃い山頂で、君が魔法陣を張れば対処できるはずだ。人魔封印の一族である君なら、な」

「でもねこさま、そっちは道から外れてる。タカ山は一号路から八号路まであって、屋敷から山頂に行くには、舗装された三号路からぐるりと山を回っていかないと……」

 崖のそばにたどり着くと、ステッキを取り出し、捻る。カチッという音とともにステッキの上部に引き金が飛び出した。引き金を引くと先端からワイヤーが射出され、崖の上に引っかかった。黒猫紳士は綱引きの要領で断崖を登り始める。

「これで七号路半ばまでショートカットできたな」

「すごいけど、どうしてそんなステッキを買ったの?」

「さすがにこんな奇妙なもの自分では買わないさ。大事な人にプレゼントされたんだ」

 ちょうど話が終わったところで崖を登りきった。ステッキの引き金を引きワイヤーを巻き取る。二度引き金を引きカットしたほうが手っ取り早いが、山にゴミを捨てるのは紳士の行いではない。

 タカ山の山道は号数が大きくなるほど過酷さを増す。きれいに整地され傾斜が緩やかな一号路と比べ、七号路は全体的に道幅が狭く、ハイシーズンには一方通行規制がかかるほどだ。

「暗くて全然前が見えないけど大丈夫?」

「猫人は暗闇で目がいい。髭のお陰で平衡感覚も抜群。深夜ならともかく、日の出近くなら十分動ける」

 道には木の根が露出してすべりやすい上、中盤から小川が脇を通る。斜面には魔除けで有名なイヌシラクサをはじめとする草木が生い茂り、ギスやヨモグといった巨大な樹木が道を阻むように伸びている。山頂への距離三分の二の地点で小川をまたぐように橋があり、七号路が観光の名所となっている。

 いつか旅行したいとタカ山のガイドブックを読んだことがあったが、こんな形で役に立つとは。こんな時でなければ、じっくり自然観察しつつ、スピネルに知識を享受したいところなのだが。

「ちょっと、ねこさま!」

「遅かったか」

 崖際で鎧を着た男が、三人の町人に囲まれていた。がむしゃらに剣をふるっているが、もうすでに町人たちは彼の眼前まで迫っており、助けるのは無理だ。

 男が足を滑らして転びそうになった。その時不可解なことが起こった。町人の一人が男へ手を差し伸べ、残る二人は倒れぬようにフォローに入ったのだ。男は困惑した様子で彼らを見る。直後、手を差し伸べた町人が、そのまま男の首にかみついた。男はガクリと頭を垂れる。再び頭を上げた彼の顔には、青色の血管が浮かび上がっていた。

「あんな見た目でも、思いやりの心はあるのね」

「まあ、なんにせよこんなものを放っておいたら、ものの数日で周辺国も陥落してしまうだろう。逃げるという選択肢はなくなったな」

「元から逃げるつもりなんてない」

 計四人の町人が一斉に黒猫紳士を睨み、走り出した。自己再生能力があるのをいいことに、両手足がケガするのも構わず、肉体の限界を超えた速さで向かってくる。地下で戦った時よりも明らかに動きが洗礼されていた。

「不死身になれば未来に恐怖することもない。仲間になれ!」

 町人は口角が裂けるほど大きく口を開き、噛みつこうとしてきた。とっさにステッキで薙ぎ払う。

抱っこしているスピネルの手の力が強くなり、息遣いが荒くなった。

「ねこさま、人魔の力は使えないの? こう、寿命が減らない程度に加減して」

「使えない。どういう力を持つのか自分でもわからないのだ。だが、体力と筋力には自信がある。何せ封印されている最中やることと言ったら、読書か、瞑想か、筋トレくらいしかやることがなかったからな!」

 圧倒的な筋力と、どんなダメージもすぐ回復してしまう不死体質は厄介だった。倒すことができないので人数が減ることはない。山道を進むにつれて、最初は四人だったのが五人、六人と、道ずれがどんどん増えていく。十人を超えたところで余裕がなくなってきた。紳士としての意地で平静を装っているものの、どこまで続くかわからない。

 しかし、負ける気はしなかった。スピネルの「大丈夫」とか「頑張って」という言葉を聞くだけで、無尽蔵に力が湧き上がってくる。人に必要とされることがこんなにも心地よいことだったとは。

「そうだスピネル、山頂についたら手伝ってほしいことがある。――このっ! 私の言うとおりに地面に図形を書き、とある文言を言ってもらう。できるか? ――はぁっ!」

「それだけでいいの? こんなに助けてもらっているのに」

「十分すぎる」

 地面に図形を書く。それはすなわち、黒猫紳士の背中から降りて、不死者たちの群れと対峙しなければならないということ。それを二つ返事で了承するとは予想外だった。黒猫紳士は驚愕するとともに、この子を守ると決めたのは決して間違いではなかったと確信した。

 町人たちをやり過ごしながら進むと、やがて道の脇に小川が流れ始め、だんだんと大きくなり、しまいに年季の入った橋が見えた。橋に乗るついでに、腐りかけの支柱をステッキで思いっきりぶっ叩く。続いて町人が殺到すると、橋は大きな音を立てて崩れ落ちた。最終的に、ワイヤーで気にぶら下がった黒猫紳士とスピネル以外全員、川の中へと消えてしまった。

「大丈夫かな?」

下流は一号路に合流する。流れは穏やかになり水位も低くなる。死ぬことはないだろう。服がボロボロで恥ずかしい思いをするかもしれないが」

 木々の生い茂る七号路から、急に開けた場所に出た。屋根のある休憩所とトイレがポツンとあるだけの広場。休憩所には山岳信仰の名残で丸頭の石像がある。広場の端には、山頂と刻まれた木柱がある。日の出前のぼんやりとした光に照らされた展望台からは、シロヤ湖を挟んでマデクーン国が見下ろせる。

 準備ができた、と背中の少女に声をかける。

「肉体を変化させるのは人魔の得意分野」

 スピネルが背中から飛び降りた。

「それを封じるのが私の得意分野!」

「スピネル、今目の前のことに集中しろ。周りの奴らは気にするな」

 頷いたスピネルにペンを渡す。スピネルはそれを用いて、地面に魔法陣を描き始めた。

 スピネルが図形を描き終わる直前、聞きなれない声が響いた。それと同時に不死者たちが静止した。

「太古、栄華を誇った皇帝は最後に不死の霊薬を求めた。液体金属を霊薬と間違えた結果中毒死したが、それはともかくだ。人は常に死を恐怖し、不死を求めた。覇者すら求めた永遠を、なぜおまえたちは拒絶するのか」

 骸骨。青黒い肉塊が所々に付着している。口を開くたびに緑の煙のようなものが漏れ出る。

「俺は人魔、タナトフォビア。死を憎み、生を愛す者。お前たちも俺たちの仲間になれ」

「お前が、この町の人々を不死化させたのか」

 骸骨人魔はゆっくりとうなずいた。スピネルが地面から顔を上げ、にらみつける。

「なぜこんなことをしたの?」

「人々を不死化させることで死への恐怖から解き放ち、知能を下げることで未来への恐怖から解き放つためだ。人は生きている限り死の恐れから逃れられない。さらに知恵をつけてしまったためにその恐怖は加速してしまった。君もこれまでにあったはずだ。死を意識して動けなくなってしまったことや、死による喪失を恐れおののいたことが。もう一度聞こう、我々の仲間に加わらないか? 死の恐怖や寿命の束縛から解放され、のびのびと生きてはみたくないか?」

 タナトフォビアの言葉にとげとげしさはなかった。声色からして本気でこちらを慮っているようだった。

「いいえ」

 今度はこちらの方を向いた。タナトフォビアからほのかな期待を向けられているのが黒猫紳士には感じられた。

 朝焼けを浴びながら、黒猫紳士はゆっくりと手袋を外す。

「死は怖い。それは大多数の人にとって共通の認識だろう。だがな、死には安らかな死もある。幸福な死もある。死は絶対的な不幸と思い込み、全人対を不幸とし、その考えを強制的に他者へ押し付ける、お前の行動は破綻している」

 黒猫紳士はステッキを振りかぶりながら、猫の脚力を活かし大跳躍。ステッキをタナトフォビアへ叩きつけようとする。対して骸骨は二の腕でステッキを受け流す。すかさず開いた胸元へ追撃。しかし、肘と足でブロックされてしまった。

「素直に死の恐怖と向き合えばいいものを」

「自分が動いている間、不死者は動けないようだな。とんだ欠陥能力だ」

「死という致命的欠陥を持つお前たちに言われる筋合いはない」

 黒猫紳士はバク転をしつつ距離を取る。対してタナトフォビアは自身の肋骨をガシャっと外すと、それをブーメランのように投げつけてきた。跳躍してかわしたものの、追い打ちの骨が迫る。

「空中じゃかわせない!」

 スピネルの悲鳴じみた声。黒猫紳士はステッキからワイヤーを射出。近くの木に引っ掛ける。ワイヤー巻き取り機能を利用して、自身の軌道を変え攻撃をかわし、無事着地。スーツにかすった程度の被害で済んだ。

「死は知るすべがない。体験することもできない。誰にもその正体がわからない。死は最大の未知故に、最大の恐怖なのだ」

 三本の骨が投げられる。黒猫紳士は最初の二本を杖で弾き、最後の一本をワイヤーで釣りステッキごと相手へ投げ返した。ワイヤーは見事に骸骨に絡みつき、動きを封じる。黒猫紳士は大きく跳躍。タナトフォビアの眼前に立つと、爪を用いて下段薙ぎ払い、中段追い突き、上段切り上げを流れるように放つ。骸骨はバラバラと崩れた。骸骨の残骸のそばに転がったステッキを回収。ワイヤーを切り、骸骨の残骸にさらに追撃を開始する。

 しかし、大方の予想通り骸骨は再生していく。黒猫紳士はそれでも執念深く骸骨をたたき、蹴飛ばし、ステッキで弾く。

「無駄だ、俺は不死。死の恐怖から解放されている」

「では、その生の呪縛から貴様を開放してやろう。スピネル!!」

 背後からソプラノの凛々しい声が聞こえてきた。

「封印の一族の名において宣言する。この世界の敵、許されざる大災厄、人魔! 今こそその力を封じ、その存在を否定する!」

「なっ!?」

 骸骨が今まさに立っている場所。それは先ほどスピネルが描いた魔法陣の真上。全ての攻撃は奴をこの場所へ誘導するためだった。即席の魔法陣ではあるが範囲を小さく限定したうえで、山頂という場所と、群生する対魔花イヌシラクサによる弱体化が合わされば、人魔の一匹や二匹、どうということはない。

「不死は人魔の魔力によってもたらされた偽りのもの。ならばその根幹を断つまでだ」

 骸骨がまがまがしい悲鳴を上げる。骨に付着した肉塊が筋肉へと再生し、その上を皮膚が被さる。目や髪の毛、そのほか人間に必要な全てが、骸骨を覆った。タナトフォビアは、人魔としての魔力をはく奪され、ただの人へと回帰したのだ。彼は、あきらめたかのようにうなだれ、ポツリ、ポツリと自分の身の上を話し始めた。

「人魔になる前、俺は肺をやられていた。ベッドの上から動けず、日に日に弱っていく体。まともに呼吸すらできず、医者にもさじを投げられ、療養病室へと送られた。先立っていく同室たちを何回見送った。いつ自分の番が来るのかわからない。何段あるかわからない絞首台を一段ずつ上っていくような気分。怖かった。死ぬのがたまらなく怖かった。俺はそこで真の恐怖を覚えたのだ」

 そして懇願する。

「スピネル、俺に協力してくれ。あと一日もあれば俺はさらなる力を手に入れ、死者の復活など造作もなくなる。協力してくれた暁には、君の大切な人を生き返らえせよう。死んだ当時のまま。よくある副作用付きの復活じゃない。正真正銘の完全復活。明日になれば、それができる。悪い話じゃないはずだ。俺はこんなところで恐怖にのたうち回って死ぬわけにはいかない! 死の恐怖から人類を開放できるのは俺しかいないのだから!」

 スピネルは目を大きく見開いて、タナトフォビアに顔を向けている。手を握りしめ内面にいる何かと必死に戦っているようにも見えた。

「タナトフォビアが嘘をついているようには見えない。彼のやり方は少々強引すぎるが、共感できる部分もある。死者の完全蘇生、今後二度とこんな機会はないだろう。君の好きにしろ。後のことは私が何とかする。でも、後悔だけはするな」

 死者の完全蘇生。その響きになぜか恐ろしく重い罪の意識を感じる。無意識のうちにステッキの柄を見つめていた。やがて胸がたまらなく痛んで涙腺が緩み、思わず空を見上げた。橙色の空。草原の幻覚が重なり、どこからか女の悲鳴が聞こえる。

 スピネルは未だ迷っているようだった。

 重苦しい沈黙が続く。永久に続くかと思われたが、ついにスピネルの唇が動いた。

「納官の日。たとえ頭から顎にかけてひもをまかれていたとしても、その目がビー玉で代用されていたとしても、腕輪で無理やり手を組まされていたとしても、体に綿を詰められていたとしても、お父さんとお母さんの表情は穏やかだった。不条理に満ちた現実世界に生き返らせるなんて残酷なこと、わたしにはできない。でもね、何より……」

 突如、スピネルが豹変した。顔を真っ赤にして奥歯をかみしめ、涙を垂れ流し、荒々しい声で思いっきり叫び声をあげたのだ。黒猫紳士も、タナトフォビアも、唖然とするしかなかった。

「お父さんもお母さんもいない! その上お前みたいなやつと戦い続けなきゃいけない! こんなっ、こんなっ、こんなっ、辛く苦しい世界で! 生きる夢も目標も目的もなく、永遠に生き続けろですって? ふざけるな! 消えろ! わたしから死を奪い取る悪魔め、二度と私の前に姿を見せるな!」

 スピネルに対して頷く。タナトフォビアへ向けて左手を前に出し、ステッキを持つ右手を大きく引いた。そして、前に踏み込みつつ、ステッキを力の限り突き刺した。その時、かすれた声でタナトフォビアが呟いた。

「また、病室にいたみんなと、本の回し読みをしたかった……」

 黒猫紳士はゆっくりと頷くと、ステッキを引き抜く。人魔は顔をしかめ涙を流しながら、朝日に飲み込まれて消滅してしまった。

 安堵からかだろうか。スピネルの体が、魂が抜けてしまったかのようにぐらついた。黒猫紳士は身の慣れた身のこなしで彼女の体を優しく抱きとめる。

「ねこさま、……ひっぐ……。うぅ……怖かった……」

腕の中で延々と泣きわめき続けるスピネルを見て、黒猫紳士は決意する。

私が守らなければならない。その身を、何よりその心を。

「帰ろう。新たな日常が待っている」

ガルーダ再来 短編二次創作小説

『流転のグリマルシェ』の二次創作小説です。
原作とは一切関係ありません。

①原作を知らない人も読めるように書いています。
②『流転のグリマルシェ』5章のネタバレがあります。
③架空の設定やスキルが登場します。苦手な方はブラウザバック!

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 依頼内容を説明します。キリーク峡谷に再びガルーダが飛来しました。
 キリーク峡谷はロイス地方、イングニー地方に跨がる峡谷です。両地方を結ぶ交通の要である狭い一本道があります。ガルーダがこの道を占拠してしまったため、両地方への交通が断絶してしまいました。
 今回の目標はガルーダを討伐し、両地方への交通を回復させることです。
 ガルーダは巨大な鳥獣であり、常時風を身に纏っています。しかし、風の鎧を除けば他の攻撃手段は決定力に欠けるものばかりです。警戒を怠らなければ討伐するのは容易でしょう。
 他の冒険者たちと四人一組の冒険者グループ――フェルカを組み協力して依頼にあたってください。
 モンスターの横暴を許すわけには行きません。あなたの返答に期待しています。

1

 和服に狐面という奇妙な出で立ちの冒険者、コシュラは脳内で依頼内容を反復しつつ、刀についた粘液をぬぐった。
 辺りには誰もが思わず顔をしかめる嫌な匂いが充満している。さらにコシュラの目の前にはイモムシと言うにはあまりにも大きい、白色の虫の残骸が転がっていた。粘液が昼間の太陽に照らされキラキラ輝いている。
 しかし、そんな悪臭すら気にならぬほどコシュラは参っていた。体力は十分でも心は分厚い雲に覆われている。
 「覚悟してたとはいえ、今回のフェルカは雰囲気最悪だ......」
 愚痴をこぼすコシュラの横。黒いゴシックドレスを身に纏っている少女が、端正な顔をしかめて地面に向かって唸っている。
 「虫......虫はもうやめて。わたくしは名家お嬢様ですの! 令嬢ですのよ! ガルーダを誘き寄せる餌のためとはいえなんでこんな......うぇぇ......」
 コシュラが選んだ冒険者の一人。こう見えて目の前の敵を暴風の魔法で切り刻んだ魔法使いだ。
 どこかの金持ちの娘のようだがなぜこのような職についているかは謎だった。
 「アンタねぇ、冒険者に産まれも何もないの。アタシなんて不死鳥の生まれ変わりなのにこのざま」
 「平民に慰められても嬉しくないわ」
 「アタシは誇り高き不死鳥の生まれ変わりなの! 次平民ってアタシに言ったら殴るわよ?」
 そんな彼女に苛立ちげに声をかけている男。ピンクのショートヘアと唇に黒のタンクトップという一度見たら二度と忘れない奇抜なファッションをしている。
 本当に不死鳥の生まれ変わりなのどうかは知らないが、腕は確かなヒーラー(回復役)である。
 そんな二人から少し離れ、周囲を警戒している重装備の老人。敵を引き付ける技術に加え、フェルカ全体をバリアで覆う高等技術《ブリュンヒルド》の使い手だ。いれば全滅はまずありえないタンク(引き付け役)である。ただ、年齢のせいか性格が頑固で融通が効かない。
 「おい若造ども、どうでもいい無駄話はそれくらいにしろ。カルネワームの残骸は今も強烈な臭気を発している。いつ食事のためにガルーダが降りてきてもおかしくない」
 もちろん、コシュラも本当はこんなギスギスしたフェルカを組みたくはない。しかし、都合のいいタイミングで都合のいい冒険者が依頼を探しているなんてことは、まずない。
 「完全に孤立してしまったな。飲み会で端の席に座って終わるのを待っている感覚に近い......はぁ......」
 コシュラに人見知りという致命的な弱点があるように、ガルーダにも弱点はある。
 ガルーダは食事をする際は風の鎧を解く。不意打ちで翼にダメージを与えられれば、ガルーダは飛ぶことすら出来なくなる。
 コシュラは和服の袖から加工された油揚げを取りだし、かじった。豆腐のふんわりした味わいが口に広がり、ストレスがいくらか軽減された。
 「成功すればいいんだがなぁ......」
 その瞬間、突如暴風が一行を襲う。上空を見上げると巨大な影が見える。
 「ガルーダ! ガルーダですわ!」
 魔法使いの言葉で全員岩影に隠れた。
 とてつもなく大きい、エメラルド色の、四つの翼を持つ怪鳥。長い尾を美しくなびかせながら着地するその姿は、モンスターと言うにはあまりにも優雅だ。
 ガルーダは周囲を警戒した後、カルネワームをついばみ始めた。
 コシュラは呑気に食事をしているガルーダに慎重に近づく。ギリギリの所まで近づくと勢いよく跳躍し、翼の付け根に刀を突き刺そうとした。
 しかし、ガルーダは一瞬早く四翼で周囲の砂を巻き上げた。視界が砂で染まってしまう。
 「まさか! 読まれて......」
 コシュラは仲間と共に激風に巻き込まれる。空と地面とが交互に見えた後、背中に強烈な衝撃。
 「ごはっ」
 立ち上がろうとするコシュラをなおも止まぬ暴風が吹き飛ばさんと襲いかかる。ガルーダが風の鎧を再びまとったのだ。
 「こっちだ!」
 コシュラは嗄れた声に導かれ側にあった岩影に身を潜めた。三人とも想定外の事態に顔を青くしている。ピンク色の髪を乱しながら、ヒーラーが皆の声を代弁する。
 「これからアタシたちどうするの!?」
 「敵は今も周囲の岩を破壊してワシらの隠れ場所を減らしている」
 老人の言う通り、ガルーダは遮蔽物をしらみ潰しに吹き飛ばしていた。じっとしていてもいつかは見つかるだろう。
 「逃げましょう。全滅するよりはマシですわ!」
 魔法使いが叫んだそのとき、すさまじい破壊音が聞こえた。四人が恐る恐るその方向を向くと最悪の事態が起きていた。
 「あの鳥、同じ鳥のアタシと違って相当性格悪いわねぇ」
 町へ帰る唯一の道が岩に塞がれてしまったのだ。もはや戦う以外に生き残る道はない。
 「やるしかないか」
 一行は破壊を撒き散らす巨鳥の前へおどりでた。

2

 幸い事前情報の通りガルーダ決定打に欠けるらしいかった。強固な守りに加えヒーラーの支援を受けているタンクに対して攻めあぐねている。
 「アタシたちが時間を稼ぐ! 早く行って!」
 ヒーラーの言葉に従い、コシュラは突撃した。タンクが張ってくれたバリアがガルーダの風の鎧にぶつかり一瞬で砕け散る。だが、敵の懐に入ることは出来た。ブリュンヒルドはやはり心強い。
 ガルーダの巨体に刀を振る。しかし、切ったのは空のみ。ガルーダはすでに空高く舞い上がっていた。砂塵舞う暴風の中で正確に敵を切りつけるのは不可能に近い。
 「だが、これでいい、汝の気を一瞬でもこちらへ引ければ......」
 ガルーダそのまま急降下。着地で生じる風でコシュラは再び宙を舞った!
 地面に転がり動けなくなったコシュラが目にしたのは一方的な蹂躙。
 バリアが途切れたタイミングを見計らい、ガルーダは重装のタンクを掴んだ。さらに脚を大きく広げると、体を横にしてダイナミックに回転。勢いがついたところで地面に向かってぶん投げた。
 ボールのようにバウンドしたタンクを、風で巻き上げつつ重い蹴りを三発連発。止めに暴風を伴っての体当たり。
 「ゴハッ......」
 タンクは生々しい声を響かせながら、岩壁に叩きつけられ動かなくなった。
 「ジジイ! 今不死鳥の力で復活させ......」
 回復に回ろうとしたヒーラーも翼で宙に打ち上げられる。続いて、鋭い嘴を何回もその身に受けた。無防備な状態で落下していくヒーラーにガルーダの強烈な体当たりが炸裂。吹っ飛んだ先で立ち上がり三歩進んだ所で、地に伏せた。
 だが、ピンク髪の彼......いや彼女の努力は無駄ではなかった。
 「こい、化け物!」
 ヒーラーの手によって一瞬立ち上がった老人タンク。彼がガルーダの風から少女を庇う。最後の力すら使い果たし、ゆっくりと崩れ去るタンクの背後で、魔法使いは詠唱を終えていた。
 「......平民たちのお陰で間に合ったわ! これで止めですわ!《ロック》!」
 極限まで高められた魔力から放たれる必殺の魔法。空から降り注ぐ岩の群がガルーダを飲み込まんとする。コシュラの役目は陽動。魔法使いの魔法を当てることが真の目的だったのだ。
 ガルーダが苦手とする土属性の魔法。それも補助スキルによって三重に強化されたものである。ガルーダ程度なら一撃で勝負が決まる。
 「嘘! そんなの嘘! わたくしの魔法が!」
 だが、ガルーダに当たる寸前で岩の滝が真っ二つに割れ、横にそれてしまう。風のバリアによって弾かれてしまったのだ。魔法使いの顔が恐怖で歪んでいく。
 ガルーダは巨体に対して冗談のような早さ動いた。滑らかな動作で魔法使いを掴むと、空高く上っていく。頂点に達した所で地面へと急降下。大地へと激突する寸前で魔法使いを放した。空を風が切る音と共に、砂煙が舞う。
 砂煙のために魔法使いの様子が見えなかったのは逆に幸運だったかもしれない、とコシュラは思ってしまった。
 「あ、ありえん......私は悪夢でも見ているのか」
 逆光を受けたガルーダのシルエット。後光を浴びるその姿にコシュラは神々しさすら覚えた。影に染まった黒い体躯の内、瞳だけがギラギラと瞬いている。その眼に宿っているものを想像してゾッとした。直感してしまった。それは憎悪。冒険者そのものに対する憎悪。同族を殺された憎悪だ。それしか、考えられない。
 こいつは確実に勝つために万全の対策をしてきたのだ。私たちがガルーダをはめたのではない。奴が私たちをはめたのだ。
 ガルーダは体を大きく仰け反ると、雄叫びをあげた。お前に勝ち目はない、諦めろ。そう言っているかのようだった。それを聞いたコシュラは思わず震え上がる。額に着けた狐面がカタカタと音を立てた。
 「そうだ、当然だ。当然の結果だ。巨大で空を飛ぶ化け物に人が勝てるわけがない......」
 油揚げを食べようと袖に手をいれるが、手に力が入らずつかめなかった。どうしようもなくなり、眼前の敵から目を逸らした。そして――
 「......それでも、勝たねばならん。彼らは殆ど初対面な上、正直苦手なタイプだが......共に戦う仲間だ! 彼らを見捨て諦めるわけにはいかないのだ!」
 倒れた仲間を見て決意を新たにするのだった。

3

 攻防一体の風の鎧。これを乗り越えなければ勝機はない。必死に思考する。
 「そうだ、懐は無風だった!」
 風はガルーダの内側から外側へ向けて放たれている。背後を壁にすれば風の鎧で吹き飛ばされることはない。鎧の内側にさえ潜れれば勝機はある。タンクやヒーラー、魔法使いと違いコシュラは刀を使った近接戦の方が得意なのだから。
 コシュラは気絶寸前の体を無理矢理鼓舞して立ち上がる。そして、渓谷の絶壁を背にして刀を構えた。
 「ぜぇ......はぁ......かかってぇ......来い!」
 ガルーダはそれを一瞥すると豪風と共に空へと消えた。
 「くっ......勘の働く奴め......」
 コシュラが目を凝らすと、遠くで黒い影が弧を描いているのが見えた。遠目から見ても凄まじい速度で飛行していることは明らかだ。奴はこの一撃に全てをかけるつもりらしい。
 コシュラは覚悟を決め、刀を構え直す。
 ゆっくりと黒い影がこちらへと向かってくる。それはやがて翼を広げた鳥の輪郭を取り、急速に巨大化する!
 「《ストーム》!!」
 どこからかソプラノの透き通った声がした。魔法によって発動したもう一つの爆風がガルーダの鎧を解き、勢いを殺す。コシュラの目の前で、ガルーダは無様に体勢を崩した。
 驚愕に目を見開くガルーダとコシュラ。その視線の先にはピンクショートの男と黒衣装の少女がいた。
 「アタシは鳥は鳥でも、不死鳥の生まれ変わりなのよ。倒れた体を放置するなんてナンセンス!」
 「オホホホホ! 風の魔法で衝撃を和らげる、なんて単純なトリックに気づけないなんてあなた、鳥頭ですか?」
 墜落したガルーダに対して、コシュラは叫んだ。
 「思いしれ、これが仲間の力だ!」
 刀がガルーダの胴体にめり込む。引き抜くと、血潮が吹き出した。それでも、ガルーダはまだ闘志を失わない。最後の力でコシュラを掴もうと迫る。
 「《ブリュンヒルド》! ワシがいる限り、もう貴様の攻撃は通用しない!」
 コシュラは無防備なガルーダへ再び切り込んだ。聞いたこともないような大絶叫を響かせて、ガルーダは地面に横たわった。依頼達成。
 「さて......やるか」
 四人はガルーダの遺骸に手を合わせ黙祷。しばし沈黙の時間が流れる。そして、討伐の証として鶏冠を切り取った後、その場を後にした。
 歩き始めてからしばらくして、ヒーラーがボソリと言った。
 「そういえば、お嬢ちゃん。どさくさに紛れてアタシを『平民』って言わなかった?」
 「おい、今さらそんな......」
 止めようとしたコシュラにタンクが被せる。
 「鳥娘、お前こそよくもワシをジジイ扱いしやがったな!」
 「おい、いくらなんでも言い過ぎ......」
  魔法使いも愚痴を飛ばす。
 「ちょっと、お面お化け! あなた、さっきわたくしが痛め付けられてるの何もせず眺めてましたよねぇ!」
 魔法使いにどつかれて油揚げを地面に落としてしまった。そして、とうとうコシュラもキレた。
 「汝! 私を貶すのは構わんが油揚げを粗末にするのは許せん!」
 四人は喧嘩する。しかし、ガルーダと戦う前のギスギスした雰囲気は既になくなっていた。
 怒号はすぐに笑い声になり、苛立ちはいつの間にか消え去った。声が止む頃には全員がスカッとした表情になっていた。
 コシュラの心はもう曇っていない。あるのは晴れやかな青空だけだ。
 「さて、これからどうする? ワシはとりあえず鎧を脱いで腹ごしらえをしたい」
 「そうね、わたくしもお腹が空きましたの。お茶がしたいわ!......そういえばあなたがしょっちゅう食べているそれ、気になるわ」
 「ああ、これは油揚げと言うり食事処に着いたら振る舞おう。沢山持ち運んでいるのでな。庶民の味の底力、見せてやろう!」
 「じゃ、アタシいいところ知ってるから案内しようか。ここから近いところに町があるのよ。そこにある宿がさぁ~」
 今朝出会ったばかりの四人は、旧知の友人のように仲良く町へと向かっていくのであった。

少女人形館 ショートショート

 山奥にある館。
薄暗い廊下と各部屋には高級なカーペットが敷かれており、至るところに少女の人形が展示されている。
 人形のどれもが極上のものであり、生娘の息づかいが聞こえてきそうなほどであった。
 そこを訪れたのは黒髪の少女。桜の花飾りと桜柄のワンピースで着飾った彼女は、この館の人形たちと負けず劣らずの美少女であった。
 「素晴らしいコレクションね」
 感嘆の声に、彼女のとなりで執事風の老人が誇らしげにうなずく。
 「そうでしょう、そうでしょうとも。人形は全て一級品を取り揃えております。世界を回ってもこれに匹敵する人形館は存在しないでしょう」
 老執事風の男が館を案内し、まるで生きているような少女の人形について解説する。
 「彼女をご覧ください。アメリカ産160センチ。鼻が高く整った顔を金のブロンドが彩ります。ポイントは艶かしき肢体と豊満なボディ。特に胸から腰にかけてのラインが魅力的です。元グラビアアイドルでごさいます」
 「お次はイギリス産152センチ。鮮やかな茶髪にあどけなさが残る天使の笑み。数々の美女コンテストで優勝しております。汚れを知らぬ清らかな微笑は多くの人々に眠る母性を目覚めさせてきたことでしょう」
 老人は次から次へと少女人形を解説しつつ洋館を案内する。ひとしきり館を回ったあと、老人は最後に地下室へ案内した。殺風景な部屋の中央に薔薇の棺桶が置かれている。老人は棺の前に立つといとおしそうに撫でた。
 「この棺を使えば永遠の美を得ることが出来るのです。あなた様もそのつもりで来たのでしょう?『散る桜 残る桜も 散る桜』。美しく咲いている桜でもいつか必ず散るものであります。ですが、この棺に入ればその美は永遠のものとなるのです」
 少女は淑やかな微笑みを浮かべて質問する。
 「痛くないの」
 「痛みはありません。それどころか一種の快感を伴うとされております。また、入る前にはこちらの強力な睡眠薬を服用して頂くため恐怖を感じることもありません」
 「しっかりと保管しているんでしょうね」
 「見ての通り数百年に渡って最良の保存状態を保ち続けています。さらに日に三度の手入れと厳重な警備によって、盗難はおろか、ささやかな損傷すら起きたことはありません」
 「本当に?」
 「それはこの館に安置されている少女人形たちを見ていただければ一目瞭然でしょう。下劣な男どもによって消費されることなく純然たる美の体現者となった彼女たちを」
 「わかった」
 そう言って少女は棺に手をかけた。
 「そうでしょう、そうでしょうとも」
 老人が至福の笑みを浮かべながら棺を開いた。その瞬間、少女は男を押し込めた。しばらくの間棺の中から叫び声と叩く音が聞こえていたが、やがて小さな断末魔をあげて沈黙した。
 ゆっくりと薔薇の棺が開くと、中で少女のように無垢な表情をした老人が眠っていた。
 「『散ればこそ いとど桜はめでたけれ』桜は散るからこそ美しいのよ。儚さに趣がある。永遠に咲く桜なんかヘドが出るわ」
 少女は艶やかに髪をなびかせながら、人形となった老人を棺にぶち当てた。人形から吹き出した鮮血と共に、薔薇の花弁が無惨に舞い散る。彼女は棺の原型がなくなるまで何度も何度も人形で叩きのめした。
 棺が壊れたためか館の人形たちが砂塵となって消えていく。その中を悠々と桜の少女は帰っていくのであった。