フゥルの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

黒猫紳士と黒髪少女 ~仙人エイル 後編~ 短編小説

 竜人エイルは旅の果てに霧の山にたどり着いた。完全な弱肉強食の世界。石灰がメインの山肌には鉱山植物すらろくに育たず、数少ない食料を巡って獣たちが熾烈な生存競争を繰り広げる場所。過酷な環境は群れることすら困難にし、生息する生物は知性よりも単独の力を優先して進化した。そのためエイルを除いてまともに会話できる者はいない。
 「今更里に戻る訳にもいない。もう、誰にも会いたくなかった。」
 エイルは長い時間をかけて石造りの家を建てた後、その山の中でひたすら鍛練という名の闘いに明け暮れた。同格の生き物と出会ったらそれは命をかけた死闘の幕開け。ここに住むのは、五臓六腑を引き裂こうと数日もあれば全快する化け物ども。敵が死ぬまで攻撃しないと自分が死ぬ。それが自然の摂理であり、この霧の山の最大の娯楽。極限状態で竜としての本能が開花したエイルにとってこの山は楽園に感じた。そんな、孤独な生活をエイルは百年以上に渡って続けた。
 だからこそエイルは山を訪れた強者に戦いを挑む。自分が死んでも悔いはない。闘いこそがエイルにとって最大の快感だからだ。そして『自分がそうだから相手もそうなんだろうな』とエイルは思い込んでいた。竜人エイルは他の国の人々が闘いの中で死ぬことに恐怖や嫌悪を抱くことがあるなんてことは、これっぽっちも考えたことがなかったのだ。

 「本っ当に申し訳なかった」
 そう、話をして土下座したエイル。対してスピネルは驚きの表情を浮かべていた。旅の途中、価値観の違いから衝突することはあれど譲歩や謝罪を受けたことがなかった。
 「いいの。ねこさまはこうなるとわかって戦いを受けたんだし、あなたにも悪気はなかったんでしょう?」
 「あぁ。わっちがそうだからあんたらもそういう考えだろうって自分の中で勝手に決めつけてた。でも、迷惑をかけたのは事実だ。心の底から謝るよ」
 まともに話せるってなんて素敵なことなのだろう。スピネルは普通に意思疏通が出来ることに感激する。
 「ありがとう、謝ってくれて。本当に、ありがとう」
 ふと、ベッドルームの扉を見た。
 隣の部屋のベッドには黒猫紳士が横たわっている。彼の傷はすでに癒えかけていた。肌には傷ひとつ残らず、燃えてしまった毛もきれいに蘇っている。この山の生き物の体液には強力な治癒を進める物質が含まれており、それを抽出して作った薬を全身に塗りたくったお陰だった。なお、強力な回復薬の存在もまた、この山での命の価値を軽くしているのは言うまでもない。
 「エイルさん。一つ、質問させて。単純に疑問に思ったことなんだけど。なぜ、あなたはねこさまの見え透いた挑発に乗ったの? あなたの実力が確かだってことは素人の私にも十分わかった。だからこそ腑に落ちないの」
 エイルは椅子に腰かけて自重の笑みを浮かべた。
 「単純だよ。怖かったんだ。怖くて足が震えて動かなかった。だから、気力を振り絞って無理にでも前に出ようとした結果があの様だ」
 「怖かった?」
 「あいつ、人魔なんだろう?」
 「知ってて戦ったの!?」
 思わず机から身を乗り出してしまった。
 「強いやつと戦えるんだ当然だろ......ってのは置いておこうか。最初、撫でられたとき感じたんだ。ねこさまの魔力は限りなく人に似せてあったけど、違和感があった。『もしかしたら、人ではないのかもしれない』ってね。実際に戦って確信したよ。ねこちゃまは人魔だって。ただ奴は格が違った」
 「えっ......でも、ねこさまは人魔の力をほとんど使えない下級の人魔よ?」
 ターコイズ叔父にとりついていた人魔もはっきりと『下級』と公言していた。黒猫紳士は人魔としての膨大な魔力を持つもののその使い道はなく、人以上の力は使えない。少なくとも黒猫紳士は人魔固有の力を旅の中では使わなかった。
 そう、スピネルは説明したがエイルは首を横に振った。
 「違うんだ、スピネル。ねこちゃまは確かに敗北覚悟で必死に戦ってた。でもわっちにはあいつを追い詰めているっていう感覚は皆無だった。全く底が見えないんだ。神話級の化け物を相手取っている気分だった。あの杖もただの杖じゃない。いくつもの機能をあわせ持つ上に魔力......即ち精神力を硬度に変える特性を持つ特注品。今まで人魔を含めた猛者どもと戦ってきたわっちだからこそ言える。スピネル、奴は異常だ。黒猫紳士には気を付けた方がいい」
 黒猫紳士は化け物じみた体力を除いて人の範疇を越えていない。他の人魔のように町一つを軽く壊滅させるような力はない。治癒能力も軽い怪我を治す程度で脅威には値しない。だからこそ、スピネルは黒猫紳士を下級の人魔だと決めつけていた。
 しかし、黒猫紳士は退治されずに封印されていた。スピネルの祖先が世代を跨いで厳重に封印を守っていたからだ。本当に人並みの力しか持たないのであればとっくの昔に退治されている。途方もない時間と労力を払ってでも封印したかった理由が黒猫紳士にはあるはずだった。
 「関係ない」
 「えっ?」
 でも、スピネルにとってそんなことはどうでもよかった。あるときは気軽に声を掛け合う友達。あるときは同じ親に育てられた兄妹。あるときは色んな知恵と想いを授けてくれる父。あるときは愛情で優しくわたしを包み込んでくれる母。また、あるときは命を懸けて守ってくれる騎士なのだ
 そして何より、両親を失ってこの世の全てに絶望したスピネルに生きる意味を与えてくれた、たった一人の大切な人なのだ。もし、黒猫紳士がいなければわたしは人魔になっていたかもしれない。
 スピネルは黒猫紳士のことを考えているとき、気づかないうちに笑みを浮かべていることに気づいた。
 「エイルさん、ねこさまは大丈夫。ねこさまがどんな力を持っていようと関係ない。彼は人類に牙を剥いたりしない。少なくともわたしは......そう、信じてる」
 それに、わたしにはご先祖様が残してくれたキリフダがあるから。
 「ま、あんたの目が黒いうちは大丈夫そうだね」
 エイルはスピネルの表情から察したらしく、二ッと白い牙を口から覗かせつつ微笑んだ。
 その後、スピネルとエイルは情報交換をすると共に価値観のすり合わせをした。エイルは『闘い』に関する価値観を除けばスピネルや黒猫紳士の感性に近く、黒猫紳士が目覚めた時には二人とも密に打ち解けているのだった。