幻煙の雛祭り ━前日━ 2 PFCSss
視界がまだぼやけている。眼前に作業台があり、何者かが薬を煎じているところだった。彼の着る黒いコートが私に安らぎを与えてくれる。
黒はあらゆる恐怖から私を守ってくれる。
「起きたか。気分はどうだ?」
「生き返るような気分だ。フッ……フッ……」
視界がはっきりしてきた。作業台の綺麗な手見つつ、華奢な腕をたどっていくと、やがてドクターレウカドの得意気な顔が視界に入った。
「ところで、明日は何の日か知っているか?」
「ひな祭り、か?」
「そうだ。ひな祭りだ」
「ああ。それがどうした?」
私は眠い目を擦ろうとしたが、ペストマスクに阻まれた。
その様子を見て、一瞬ドクターレウカドがニヤけた気がする。
「カルマポリスから西に125キロの地点にあるエルドランという国を知っているか?前もって送った手紙を読んでいるなら知っていると思うが……」
「『豊穣の国エルドラン』。表では観光に力をいれ種族平等をモットーとしている農業国。だが実際には人間至上主義で闇取引の穴場となっている腐りきった国、だったか?」
私はコートのポケットからメモ帳を取り出した。ページを開いてからしおりの代わりに挟んだpH試験紙を引き抜いた。
「ああ。その通りだ。今その国でちょっとした新興宗教が流行っている。ノア輪廻世界創造教。裏でアンティノメルのギャング精霊が関わっている他、人身売買・麻薬取引・武器の密輸などの隠れ蓑になっている。そこに大手製菓子店ステファニーモルガンのオーナーが誘拐された。その救出報酬が現金と……」
前のめりになり、ドクターレウカドの瞳を直視して私は言った。
「……ひな祭りに必要な菓子一式に加え、一月二回の製菓子無料件だ」
「数十万する菓子が一月二回無料になる、か」
ドクターレウカドのよく潤った唇から白煙が吐き出された。全く興味なさげだった。
「ひな祭りに必要な菓子に関しては安否が確認できしだい至急で送ってくれるそうだ。一部の富裕層が嗜むような高級菓子でひな祭りを堪能できる。だから……」
「そのメーカーの社長を救出しに行くと」
「ただ、事前に手紙で送ったように、貴方自身は救出にいかなくていい。ただ、人質救出のための人員を集めるのに協力が必要不可欠なんだ。別に失敗してもいい。今回の救出作戦にドクターレウカドが関わったということも全てもみ消す。その上で、働いてくれた暁にはその菓子無料券とひな祭りセットを渡そう」
黒衣の医者は苦虫でも噛んだかのように顔を歪める。これはこれでありかもしれない、と私は思った。
「俺は甘いものが苦手なんだが」
「ビターもある」
「いや、そういう問題では……。」
渋るレウカドに対して私は交渉の切り札を出した。
「バレンタインの時の妹の顔をよく思い出すことだ。そうすれば自ずと答えは見えてくる」
「何で妹がいることをあんたが知ってる?」
「直接会った」
「なに!」
この日のためにわざわざ会いにいった。まさか、あんなに元気はつらつとした愛らしい女性だったとは思いもしなかったが。
「『ステファニーモルガンの菓子は食べたことがない』、と言っていたな。あとそれと、『出来れば一度は食べてみたい』とも」
「なっ!」
「チラシの切りぬきを見せたら物欲しそぉぉぉにしていぞ」
「あんた、俺を妹で釣る気か?」
「騙してなどいない。事実を語ったまでだ。よく考えるんだ。今回たった一日協力しただけで、一生涯高級菓子が手にはいるんだぞ?これ以上とないチャンスじゃないか」
……レウトコリカにとって、とボソリと付け加えた。