なぜ死ぬ権利はないのだろうか
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⬆本業は解剖者。嫌々死んで欲しくはないので、解剖直前に死を説得する……というヤバイ人。
このキャラクターを作るためにまとめるた会話サンプルです。感情をあまり見せない人なのですが、生死を語るときだけ、情熱的になります。
長田克樹 (id:nagatakatsuki)
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人はなぜ生きなければならないのだろうか。死んではいけないと誰が決めた。
この世に存在する生き物の殆どがもうすでに死んでいるだろう?人は生きていることを当然に思うが、本当は死が『自然』であり、生きているということが『異様』なのだ。
医療を用いて延命すればより苦しくなるのは当然だろう?これは解剖をしてわかったことだが、人はそもそも死ぬようにできている。
あらゆる生あるものの終着は死だ。
細胞にはアポトーシスという機能がある。あらかじめ用意されている部位に、特定の物質が反応すると、その細胞は自ら死ぬ。体の環境を保つための、細胞単位の自殺だ。
今も人の体の中では、新たな細胞が増殖していると同時に、大量の細胞が自殺している。
意図せずとも生き物のたるもの、身体中で死に続けている。死は老人に訪れるものではない。今も私たちの体のなかで起き続けている。
なぜ人は死ぬことが恐ろしいと決めつける?死んだこともないのに?
なぜ死ぬのは苦しみだと考える?生きている方がよっぽど苦痛なのではないのか?
なぜ目的もなく生きる?生きても辛いことばかりなのに。
明日を生きても何かが変わるわけではない。一年たっても、二年たっても同じだ。
たとえ時がたとうが環境が変わろうが、自分がかわらない限り、苦難を乗り越えることはできない。
そして、自らの考えを改め成長し、苦難を乗り越えた先に見えるのは更なる試練だ。
だからと言って、一時的に課題を避けたとしても、乗り越えられなかった困難は、姿形を変え、何度でも目の前に立ちはだかる。より、強大になって。
何度乗り越えようが、何度迂回しようが同じだ。決して苦痛から逃れることはできない。
しかし、死ねば別だ。
死は受け入れられればやすらぎだ。無理をして生きてきた人にとってはなおさら。
金も、健康への憂いも、つらい仕事も、複雑な人間関係からも、その全てから開放される。悩みという悩みを夢の中に捨て去ることができる。
今感じている死ぬことへの恐怖からも、開放される。
死は最大の『救い』だ。だが、大半の人はそう悟りきることができない。
忘れられることが怖い?大丈夫。偉業を成し遂げたとしても、人の記憶に残らなかった人は腐るほどいる。
自分が死ぬことで迷惑がかかる?大丈夫。殆どの人は死ぬときに他人に迷惑をかける。君が気にすることはない。
伝えたい人に伝えていないことがある?大丈夫。一般に、死は突然訪れる。伝えたいことを伝えて死ぬ人の方が少ない。
悲しむ人がいる?大丈夫。その人の悲しみは時間が癒してくれる。
孤独が怖い?大丈夫。生まれる時と死ぬときは誰もが孤独だ。差し引きは0だ。
なにも恐れることはない。人はいつか必ず死ぬ。今日か、明日か、十年後か。生まれた以上は死ぬしかない。
でも、ほんの少し死ぬのを早めたところで、たいした問題はないだろう?先に死のうがあとに死のうが、世界はなにもかわらない。より自然な形に戻るだけだ。
さあ、最後の一歩を踏み出そう。