フールの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

黒猫紳士と黒髪少女 ~幸福の蜜~ ショートショート

 だだっ広い草原にポツンとその国は存在していた。石造りの塀に囲まれており、出入りのための門すらない。黒猫紳士は壁に猫耳を当ててみたが内側からは物音ひとつせず、不気味な静寂が辺りを包んでいる。
 「ねこさま、これは何?」
 「ありとあらゆる快感を突き詰める国......という噂を聞いたことはあるが、詳しくはわからない。長いこと鎖国しているために内部について知るものがいないんだ」
 白いシャツと黒いスカッツを身に纏った少女の問いに、黒猫紳士は答える。その後も二人はしばらく町の外壁を歩き続け、ようやく人一人が通れそうな扉を見つけた。扉には錆びかけた表札がぶら下げられており、『○○国へようこそ』と彫られている。
 「スピネル、ここから内側に入れそうだぞ」
 「いいの? 勝手に入っちゃって。違法入国で捕まっちゃうかもよ」
 「その時は壁をよじ登って逃げるさ」
 黒猫紳士は余裕の笑みを浮かべながら腰にぶら下げた杖をちらつかせた。ワイヤー内蔵の仕掛け杖である。スピネルはそれでも不安げだったが、覚悟を決めた様子でドアノブを捻った。
 塀の内側に広がっていたのは荒れ果てた町だった。かつて丁寧に舗装されていたであろう道は見る影もなく、至るところに草木が生い茂っていた。建築物も原型こそとどめているものの、石壁に皹が入っていたり蔦で覆われていたりしており廃墟と化していた。しばらく探索して見つかったのは、役場と思われる場所に放置されていた劣化が激しく解読不能な研究資料の山だけ。奇跡的に読み取れたのは『この国の主食であるバナナを摂取した場合における幸福度について』と書かれたレポートの表紙のみだった。
 「またハズレ? 民家も全部泥棒に入られたあとで面白いものは何一つ残ってないし、どうする? もう帰る?」
 スピネルは飽き飽きとした様子でつややかな黒髪を揺した。この地方では各国の国交が殆どないためこういった国の亡骸が数多く点在しており、決して珍しいものではない。
 「いや、もうしばらく探索しよう。何か、臭いがするんだ。死臭とかそういうものではなくもっと人工的な臭いだ」
 臭気の元を辿っていくと、町の最奥に白くて平べったいドーム状の建造物が見えた。土壁と木の屋根がメインの町から、ドームはひどく浮いている。
 スピネルが何かに気づき、ドームの右端を指差した。
 「人がいる! 紫色のローブ!」
 今にも建物に入りそうだった。ここでチャンスを逃したら二度と機会が回ってこない気がした。黒猫紳士はスピネルを抱えると勢いよく駆ける。
 「おーい! そこの紫のローブの人!」
 大声で呼び掛けると気づいたようで、手を振ってくれた。黒猫紳士は紫ローブの前に到着するとスピネルを下ろした。相手はフードをはずして素顔を見せてくれた。全身に映えていると思われる黒毛に浅黒い肌。頭の毛が左右に別れており、側頭の毛が直立している。人間に近いとも遠いとも思えるその容貌は、チンパンジーだった。
 「本日は大変お日柄もよいなかようこそおいでくださったね、旅人のお方。私はこの国の管理人ボーノボ。ボーノボだよ。気軽にマネージャーボーノボとよんでね。国民の管理をしているからこの国から離れられなくて久しく人と話していなかったから、すごくワクワクしているよ!」
 黒猫紳士と同様にスピネルも一瞬硬直したが、持ち前の順応性ですぐさま対応する。
 「こんにちはマネージャーボーノボ。わたしの名前はスピネルです」
 「黒猫紳士です。よろしくお願いします」
 「結構、結構。では、早速私の町を案内しよう」
 ボーノボは白いドームの一点を毛深い指で押した。すると、ドームに人一人が通れる程度の穴が開かれた。
 「狭くて申し訳ないね。普段出入りするのは私だけだから」
 その他にも色々ボーノボは話しかけてきたが、二人の耳には入ってこなかった。内部の光景に圧倒されてしまった。ドームの天井には等間隔に小さい明かりがついていた。上だけ見れば星空みたいできれいだと思ったかもしれない。だが、そうはならなかった。足元の光景が原因である。床一面がガラスのタイルで、下は蛍光紫色の液体で満たされていた。そして、液体の中にはこの町の住民と思わしきチンパン人たちがやはり等間隔で浮いているのである。誰もが幸福そうに微笑んでいた。
 様々な町を見てきたがここまで壮絶な光景はスピネルはおろか、黒猫紳士にとってもはじめてだった。
 「これが私の誇り、この町の誇りなんだ」
 唖然としている二人に、ボーノボは楽しそうに一方的に語る。
 「我々の国は幸福を求めて突き進んできた。国の全員、誰もが最大の幸福を得られることを目標にしたんだ。それを解決するために性的幸福や薬物的幸福についての研究、時には外科的処置によって幸福を発生させる実験を行い、どうにか一生で感じる幸福の量と質を増やそうと努力した。すごい時間をかけて、いっぱい、いっぱい努力してきたんだ。すごいでしょう?」
 熱心に語りかけるボーノボ。狂気に思える内容だが、決して正気を失っているようには見えない。幸福を追い求めることが人生で最も優先すべきことだと、本気で信じ混んでいるのだ。恐らく、この下に眠っている住民たちも。
 「そしてついに、私たちはこの『幸福の液体』を作り出すことに成功したんだ。高濃度の特殊な魔力で満たしたこの液体は浸かると人生をまるごと夢の中で再現できる。一度入ってしまえば現実世界にいたいことに気づかず、そういった疑問すら浮かばない。夢の世界での経験はより幸福で満足できるように設定されているけど、当事者はそれに気づくこともない。そして、幸福な人生を終えると記憶を消去して、もう一度新たな人生を歩み直すんだ。計算上は日没までに平均百二十三回もの人生最大幸福を味わうことができるんだよ。液に入ったら心臓が止まっちゃうのが難点だけど、どのみち二度と起きないから気にならない。どう! すごいでしょう! この『幸福の液体』を世界に普及して、全人類を最大最高の幸福へと導くのが私の夢なんだ! それが済んだら私もこの中に浸かるつもりさ!」
 黒猫紳士は恐る恐るスピネルを見つめた。スピネルの瞳にも恐怖の色が浮かんでいたのを確認して、安堵する。
 ボーノボは黒猫紳士たちの反応を少しも気にせず、ガラス板のうち一枚に手をかけた。ガゴンッという鈍い音がドームに反響する。
 「肉体卒業いいよ! 君たちも死になよ!」
 ボーノボの言葉と同時に、床下の住民たちが一斉に目を開き手招きしてきた。みんなとても幸福そうな笑顔だ。黒猫紳士は恐怖に押し潰されそうになりつつもなんとか理性で堪え、この状況をどう切り抜けるかを考えた。
 「マネージャーボーノボ、私たちがこの液体に浸かっては他の国の人々にこの液体の素晴らしさを普及できなくなってしまいます。申し訳ながらお断り申し上げます」
 「嬉し......いけど、本当にいいのかい? 後悔しない? この液体に浸かれば一生分の幸福が一瞬で何度も得られるのに。私が嘘を言っているように見えるかい? 現実世界に生きてたって辛いことばかりだよ?」
 ボノーボが憐れみをもってスピネルに問いかけた。そこに悪意はない。価値観の差はあれど正真正銘善意の言葉である。
 スピネルは頭を横に振り、毅然とした態度でいい放った。
 「わたしは、生きて幸福を掴みたいの!」
 黒猫紳士たちはその後、一時間かけてボーノボを説得し白いドームの外に出してもらった。
 荒廃した町を歩きながらスピネルがポツリと呟いた。
 「ねこさま、あの液に入れば世界中の誰よりも幸せになれるのに、どうしてわたしは断ったのかな」
 「さあな。私にもわからん。ボノーボの言葉には説得力があった。思わず頷きたくなる魅力もあった。考え方のひとつとして、彼の言葉を否定することはできない。ただ、私は正直ほっとしたよ。君が、死ななくて」
 「そうね。やっぱりわたし、断って正解だったと思う。わたしが一緒に旅したいのは夢の中で作り上げた妄想のねこさまじゃなくて、今隣にいる本物のねこさまだから」
 スピネルは髪を書き上げてにこりと笑った。その笑みを見たとき、なぜか背筋がゾッとするような感覚に陥った。そうだ、ボノーボの言っていることが正しければ今現実世界にいるということが証明できない。もしかしたらあの『幸福の液体』に浸かってスピネルに微笑まれる夢を見ているだけなのかもしれない、と黒猫紳士は思い至った。
 黒猫紳士は何も言わず足を早める。今見ている光景が悪夢のような気がしてならなかった。