フールの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

黒猫紳士と黒髪少女 ~旅立ち~ 短編小説


 屋敷の地下、消えることのない松明が照らす一室。石造りの壁や天井にはお札が貼り付けられた縄が張り巡らされており、部屋の中央をチョークで描かれた魔方陣が陣取っている。中央奥に唯一ある扉からカツカツという軽快な足音が聞こえてくる。やがて足音はどんどん大きくなり、バンッと勢いよく扉が開いた。文字通り部屋に転がり込んだ黒髪の少女。何ヵ所も打撲し、擦りむいたことを気にもせず、バタンとドアを閉じる。錠前に鍵が刺さるまで何度も押し付けて、ようやく鍵を閉めた。
 「ぜぇ......ぜぇ......。ターコイズ叔父さん、あんなに優しかったのにどうして......」
 少女は長い髪をゴムで束ねると、ポケットから黄ばんだ手紙を取り出した。紙と魔方陣を見比べつつ、図に線を付け足していく。画材は白いシャツから染み出してくる鮮血である。
 ドアから乱暴な足音と醜い怒号が響く。
 「スピネル! お前が、お前さえいれば人魔を操ることがぁ!」
 扉がガシャンガシャンと揺れる。長くは持ちそうにない。
 右肩のサスペンダーが外れかけているが彼女に気にする暇はなかった。
 「『封印の一族の名において宣言する。名もなき人魔よ、今こそ封印から解き放たれ、我が望みを叶えたまえ!』」
 少女は叫ぶと魔方陣に向かって血がべっとりついた遺書を投げ入れる。
 魔方陣から立ち上る黒い霧。
 「私は名もなき人魔。私の封印を解いたということは......」
 息も絶え絶えに少女は懇願した。
 「助けて......ください!!」
 「よかろう」
 霧は徐々に人のシルエットへと変わっていく。最初に見えたのは黒のモーニングコートにウェストコート。次に白い手袋。シルクのネクタイと隣り合う胸ポケットにはシルクのスカーフ。ちらりと覗くワイシャツ。そしてどんな季節でも使える灰色のズボン。だが、その顔はどこからどうみても黒い猫であった。
 それと同時に扉を打ち破って、剣を持った男たちがなだれ込む。最後尾に豪華な服装をした初老の男。少女は血まみれの腹を抱えながら、壁際まで逃げた。そのまましゃがみこむと、額の汗を拭い、両手を握りしめてガタガタと震え始めた。猫の紳士は剣士たちと少女の間に立つ。
 「バカな! なぜ封印が解けている!」
 「さあな」
 「話が通じん化け物め、傭兵どもかかれ! 奴は下級の人魔だ。勝てない相手ではない!」
 初老の男の号令で、剣士たちが猫紳士を囲んだ。紳士はピンと背筋を伸ばしたまま、腰のベルトからステッキを引き抜いた。そのまま大きく跳躍、剣士たちを飛び越え初老の男の背後に着地すると、首にステッキを突きつけた。
 「命を終わらせるか?」
 混乱する戦士には目もくれず、猫紳士は少女に言った。彼女は首を横に振った。
 初老の男はがっくりと膝をつき、昏倒した。
 雇い主が倒れ、統率が乱れた傭兵たちを猫紳士は圧倒する。ステッキの一撃で剣はへし折れ、鎧が歪む。猫を彷彿とさせる軽やかなステップは剣士たちを一切寄せ付けない。剣士たちはあっという間に全滅してしまった。その動きに一切無駄のないことが、紳士服が伊達ではないことを示していた。
 「大丈夫か?」
 猫の紳士は少女の前で膝をつき、彼女のサスペンダーを正し、服についた埃を払い、汗をシルクで拭う。最後に震える手をそっと握った。
 「ありがとう。私はスピネル。でもごめんなさい、今あなたにしてあげられることは何もないの......」
 「封印を解いてくれただけで充分だ。それに礼ならお前の親に言え。これは単なる恩返しだ」
 「お父さんとお母さんは......遠いところにいっちゃったの」
 「......そうか。あの二人が......」
 「わたしも......もうすぐお父さんとお母さんのところへ......」
 少女の目線の先には鮮血で描かれた足跡。そして、今も血溜まりが少女の足元で広がりつつある。蒼白な顔には生気が感じられない。
 「まさか、この私を解放するためだけにここまで来たのか。自分の身を犠牲にして」
 「あなたは、お父さんとお母さんの大切なご友人だもの......」
 「ふむ、手術痕が原因か」
 猫紳士はそっと彼女の腹に触れた。淡い光が手袋から漏れる。みるみるうちに彼女の傷が癒えていく。
 「どうだ? 少しは楽になったか?」
 「ねこさま、すごい!」
 ばぁっ、と笑顔を浮かべた少女が紳士に飛び付いた。あわてふためきながら、猫紳士は彼女を突き放した。
 「私はかつて人に大いなる災いをもたらし、恐れられ封印された人魔だぞ? それをねこさまだと? 怖くないのか?」
 「だって、顔が猫だもん」
 ねこさまはムッとした顔で言い返す。
 「君があの霧を黒猫だと思い込んだからこの姿に固定されてしまったのだ。本当はもっと恐ろしく威厳のある姿になるつもりだったのだが、せめて黒猫紳士と......」
 少女は「あ、そうだ」と倒れた剣士たちを一人一人見て回った。全員確認したところで髪を留めていたゴムを外し、安堵のため息をついた。後ろ髪がぶわっと鮮やかに広がる。
 「死んでなくてよかった」
 「君に乱暴しようとしたやつらだぞ?」
 「叔父さんが怒ったこと今まで見たことがなかった。あれは私の知っている叔父さんじゃない。きっと、何か深い理由があったのよ。それに......もう人が死ぬのを見たくないの」
 猫の顔をした人魔はため息をついた後、少女を強引に脇下へ抱き抱えた。
 「へっ、ちょっと!?」
 「逃げる。あいつらは自力で脱出できるだろう。それよりも今は私たちが危ない」
 部屋から出て螺旋階段をかけ上がる。気が遠くなるような段数を登ると金属製の扉があり、開けると倉庫に出た。木箱の間を通り抜け、倉庫から飛び出した後、屋敷の中を疾走する。その後、ステッキで窓を叩き割って二人は屋敷を脱出した。

 山奥に屋敷は建っており、麓には町が見える。背後は崖だ。日が今にも消え入りそうだった。
 「息切れしない?」
 「親子三人揃って底無しのお人好しだな。安心しろスピネル、人魔の体力は桁違いだぞ。他人の体のことより自分の身を心配するんだな。傷はなくなっても病気までは治ったとは限ん」
 黒猫紳士は少女を一旦下ろしてから、むくれている彼女をおんぶした。続いてステッキを取り出し、崖に向けて捻る。カチッという音と共に杖の中程に引き金が飛び出し、引き金を引くとワイヤーが先端から射出された。崖の上に引っ掛かったのを確認して、綱引きの要領で断崖を登り始める。
 「どこへ行くの?」
 「魔力が集中している山頂だ。そうだな......お礼の代わりに手伝ってほしいことがある。あらかじめ説明しておくぞ。山頂に着き次第、私の言う通りに地面に図形を書け。あと、とある文言を覚えてもらう」
 「ここまでしてもらったのに、それだけでいいの?」
 「充分すぎる」
 崖を上りきり、しばらく進むと開けた場所に出た。小石以外にはなにもない殺風景な場所。山頂だ。猫紳士は丁寧に黒髪の乙女を下ろした。冷たい風が紳士の黒毛と、少女の黒髪をなびかせる。
 「恐らくお前の叔父__ターコイズは人魔にとりつかれている。私のような半端者ではなく、生粋の人魔にだ」
 「そんな! 早く助けなきゃ」
 一際強い風が吹き、彼女は慌ててスカートを押さえた。一方紳士はごくごく自然な動作で視線を逸らす。
 「そのための作業だ。根拠としては突然の豹変に加えて『奴は下級の人魔だ。勝てない相手ではない!』という言葉。人魔の位と実力を正確に見切ることは素人には不可能だからな......来た」
 猫紳士が指で示した先にはターコイズの姿があった。
 「くそっ、あの屋敷以外の場所であれば簡単だったものを」
 叔父の中から黒い霧がたち登る。それは猫紳士の数倍の身長を持つ巨人の姿をとった。
 「人魔になってはや数日、ようやく町にたどり着いたってのに封印の一族がいたせいで隠れているしかなかった。馬車の事故で厄介者が消えたと思ったら、利用するはずの人魔が娘に封印を解かれて大誤算。やることなすこと全部失敗しちまった。この苛立ち、貴様らで存分に晴らしてやる!!」
 紳士は少女を抱えて跳んだ。少し間を置き、地面に拳がめり込んだ。巨体ではあるものの動きが鈍く、猫紳士を捉えられない。地面に穴がいくつも空いたが、スーツに傷ひとつつけることができない。
 「ガキ共がちょこまかと!」
 巨人が苛立ち猫紳士を追いかける。数歩足を進めた瞬間、地面が激しく輝いた。
 「『封印の一族の名においてお前を拘束する!』」
 スピネルの宣言。山の魔力によって増幅された魔方陣と、封印の一族による言霊によって巨人が拘束された。
 「これは足止めの魔方陣、動けん! このガキ!」
 相手が罠にかかったのを確認して、猫紳士はターコイズの元に少女を下ろした。そして、ステッキのワイヤーを使い巨人の上へ登る。ステッキをもう一度カチッというまで捻り、銃口を頭頂に向けた。
 「待ってくれなんでもするからせめて封印だけにそれだけはやめて消えたくな―」
 ドスン、という鈍い爆発音が鳴った後、巨人はゆっくりと魔方陣に沈んでいった。
 紳士は崩れる巨人から飛び降り、華麗に着地。
 「人魔の倒し方はあの二人から聞いていたんでな」
 一方、少女に介抱されていた叔父が目を覚ました。
 「うぐっ」
 「ターコイズ叔父さん!」
 「お嬢様......儂はひどい、それはひどい夢を見た。妻の魂を手にもって『地下に封印された人魔を仲間にすれば生き返らせてやる』と人魔が儂を誘惑してきて、儂は......」
 「悪い夢だったね。でももう大丈夫。彼がついてる」
 叔父は紳士の姿を見た。それに気づくと彼はピンと伸ばした背筋を、礼儀正しく折り曲げ会釈した。
 「迷惑をかけました。儂の名前はターコイズと申します。えっと......」
 「ねこさ......」
 「黒猫紳士だ」
 「......紳士さま。心より感謝を申し上げたい」
 「礼なら彼女とその両親に言え。彼女の封印の力がなければ勝てなかった」
 「おおそれはそれは、お父さんとお母さんもきっと喜んでいるよ」
 その後、ことの顛末を町役場に伝えて事件は終息した。
 屋敷に封印されていた巨人型人魔の策謀によって叔父が操られ、少女の両親が殺されてしまった。だが、少女ととある紳士の活躍によって人魔は滅ぼされた、と町に報じられたのであった。



 「ターコイズ叔父さんがわたしの面倒を見てくれることになったの」
 「そうか」
 少女は唇を紅茶で濡らす。この客間におかれたインテリアは叔父夫婦が旅の途中で買ったものだ。文字通り憑き物が落ちた彼女の叔父は、あれから二日間もろもろの手続きを済ませていた。ターコイズは旅で見て触れた経験を生かし、骨董品や美術品を買い売りしてとてつもない利益を出しているのだという。彼女はこれから不自由なく暮らせるだろう。
 「あの......あなたはこれからどうするの?」
 猫紳士は窓の外を眺めた。昼の日差しのなか小鳥が飛んでいるのが見える。のどかな午後のヒトコマだった。
 「ニヴルという地方にある神殿を目指して旅に出る。理屈は省略するが私は同じ町に8日もいれば教会や社に人魔であることがばれてしまう。私は一ヶ所にはとどまれない。このあとすぐにで出発するつもりだ」
 「一緒につれてって!」
 彼女の眼は涙ぐんでいたが、強い決意に満ちていた。
 「......ねこさまと一緒にいると、安心するから」
 そう言うと少女はそっと猫紳士に身を委ねた。黒猫紳士は奥歯を噛み締める。机の下で握り拳が震える。決して短くない時間を置いてから、紳士は静かに口を開いた。
 「地下で生きてきた私に君は眩しすぎる。眩しくて目が開けていられない程だ。その輝きを汚すわけにはいかない」
 シルクで彼女の目を拭い、頭を優しく何度も撫でた。そして、意を決したかのように立ち上がりドアの前に立った。
 「まって」
 ドアノブを握ったまま制止する。だが、振り向きはしない。
 「ねこさま、お元気で」
 潤んだ声。
 「......」
 感情を押し殺して、彼は部屋を出た。しばらく進んでばったりと叔父と会った。
 「両親を失った今のお嬢様にはあなたが必要なんです。紳士さま、あなたまで行ってしまったら彼女は......」
 「ターコイズ殿。彼女は私の分まで泣いてくれた。私の言わんとすることを理解して送り出してくれた。あそこまで良くできた子を危険な目にあわせるわけにはいかない。ましてや私は人魔。この世界の敵、許されざる悪。旅先で事件に巻き込まれることは避けられない」
 微動だにしない猫紳士を見て、叔父はとうとう土下座した。
 「お嬢様は病気がちであまり家から出られなくて友達もいませんでした。自分の知らない世界へ旅立つことを夢見て、毎日のように観光本を読んではため息をつき......叶わない夢だと諦めていました。そんな彼女を見てご両親は彼女を遠くにつれていきたいといつも言っていたのです。お願いします。あんなことをしでかした儂が言える立場じゃないですが、せめてその償いとして彼女の願いを叶えてあげたいのです」
 「あの二人が......」
 「彼女を旅に連れていくというのは、叔母である儂の亡き妻の願いでもあるのです。残念ながら儂にはお嬢様の帰る場所を守るという使命があります。ここから離れるわけにはいきません。あなただけが頼りなんです。旅人の先人として儂も全身全霊で協力しますのでどうか! 彼女を連れていってやってください。紳士さま! どうか、どうかお願いします!」
 頭を何回も床に叩きつけて土下座をする叔父。その音を聞いて外の様子を見に来たスピネル。二人の号泣の前にはさすがの紳士も折れるしかなかった。
 そして二日後の朝。
 「どうかお気をつけて。改めて人魔の討伐、さらには儂の妻の墓参りまでしてくださり本当にありがとうございました。家は儂にお任せください!」
 「ターコイズ叔父さんもお元気で!」
 朝日のなか手を振る少女と叔父。その表情は明るく、一点の曇りもない。
 「紳士さまもお達者で! お嬢様をお願いします!」
 「この命に代えても。ターコイズ殿もお元気で」
 お互い姿が見えなくなるまで別れを惜しんだあと、別々の道を行く。黒猫紳士と少女スピネルは麓の町へ山を下り、ターコイズ叔父は家へと戻っていった。
 黒猫紳士は思う。スピネルは住み慣れた故郷を後にして旅に出る。旅は試練に満ちている。辛いこと、悲しいこと、取り返しのつかない失敗をすることもあるかもしれない。それでも彼女は進み続けるのだろう。まだ見ぬ世界を旅するという夢のために。
 黒猫紳士は彼女と共にあればどんな困難でも乗り越えられる気がした。
 二人の旅立ちに幸あれ。