闇に生きる猫 上
1
「なんで友達と仲良くしちゃいけないの!!」
「何が友達だ!!あんな劣等種族なんかと群れおって!!お前は自分の立場を理解しているのか?」
「理解なんかしたくない!!」
「お前の意思など聞いておらん!お前は誇り高き闇の眷族の申し子だぞ!」
「そんなのアタシに関係ない!!」
「親に向かってよくもそんな口のきき方を!!お前など我らの子ではない。我らを侮辱した罰だ。思い知れ!」
「っ!?」
「いいさまだ。さあ、血の池でも針の山でも好きな場所に行くがいい。はははははは!!!」
「にゃあ」
しゃべれない。喉から出る声は丸みを帯びた弱弱しいものだった。
「にゃ~」
これからどうしよう?何を食べて生きていこう?ネズミすらいないこの薄暗い闇の中でどうやって生きよう。そもそもネズミなんか食べる気はないんだけど。
ここがどこなのか、それすら分からない。短い手足を懸命に動かしても、何も見えない。
友達とも会えない。
おそらく以前住んでいた場所とは全く別の世界に飛ばされたのだろう。灰でできた地面を踏みしめ、少しでも前に進む。
グゥ~。
おなかがすいた。
「にゃあぁ~~~~」
誰かいませんか?誰でもいいから何か分けてくれませんか?
進むにつれてどんどん意識がもうろうとしてきた。眠い。
でも、ここで眠ってしまったらアタシは終わる。小さな心臓は誰にも知られずその役目を終えるのだ。そうなってしまったらアタシは何のために生まれてきたのだろう。
前足を舐めて唾液を付け、顔に塗る。だめだ、全く眠気は覚めない。
暑さも寒さも感じない。
ひたすら無が続いているこの空間でアタシは何を思う?
寂しい
暗い
怖い
助けて
「にゃ・・・」
もはや声も出ない。アタシはここで消えるの?
2
何だろう?暖かい。優しいものに包みこまれているみたい。落ち着く・・・。
これは、夢?
「ようやく目が覚めたか」
思い瞼を開けると、一人の人の顔があった。
攻撃的な言葉と裏腹に、道端で歩いていたら子供がよってくるような優しい顔だ。なぜか鼻から上を蔽うように覆面を付けている。
「一人でこの城までたどり着くとは、何者だ?・・・というか、お前、猫か?」
「にゃ」
反射的に首を縦に振って答えていた。意味をよく考えず。・・・あれ、そもそも「猫」ってなんだっけ?
目の前にいる彼は眼を見開いた。
「驚いた。本当に猫か!異界にいると言われているあの!」
猫・・・ねこ・・・ネコ!!?
「にゃにゃ!?」
ちょっと、どういうこと!猫ってあの昔話とかに出てくる、あの!?おとぎ話だと思ってた、あの、猫!?
「にゃんにゃー!にゃにゃにゃにゃー!」
驚きを口にしようとするけど、思うように声が出ない。
本でしか見たこともないような生き物にアタシはかえられたっていうの!?
「おっ落ち着け落ち着け!おっ俺は怖い人じゃないぞ~」
深呼吸、深呼吸。す~は~。とりあえず、自分の体のことは後だ。
そういえば、ここはどこか部屋?壁も床も置物も全部真っ黒だ。一つ一つの家具が巨人の家具みたいに大きい。いや、アタシが小さいのか。
地面がふかふかだ。どうやらベッドの上らしい。
「落ち着いたか。オレの名は緑の貴公子ミスターL。伯爵さまの一番の部下だ!お前の名前は・・・」
えっちょっと、どうやってアタシ答えればいいの?アタシは壁に向かって足を動かした。アレ?予想以上に短い。アタシ、大人に猫じゃなくて子供の猫にされたの!?どこまでも抜け目ないダメ親だ。
はぁ。
どうにかベッドの端っこまで歩いた。一歩一歩が重労働だ。歩いている途中に後ろから声が上がった。
「ルーニャ!」
声にビクッとして振り向いた。
「どうだ、この名前!ザ・伯爵ズのオレがわざわざ考えてやったんだ!どうだ!」
てっ・・・適当!!
うん、でもまあ、悪くないかな。
「ゴロゴロゴロ~!」
喉を鳴らしてその名前が気にいったことを示す。親からつけられた名前よりもずっといい。
『キョウビョウ』
あの忌々しい名前とは今日でおさらばだ。
「あっ・・・お・・・お~よしよし。ルーニャ・・・よしよし」
あ、首元、気持ちいい。そこそこ。
3
「ほら、猫じゃらしだぞ~」
「にゃ~にゃ~」
猫じゃらしに向かって素早く手を伸ばす。なかなかすばしっこい。ベチッ、ベチッと腕を床にたたきつける。
そこ!あ、右!
「なかなかやるな。今度はこっちだ!」
「にゃ!」
とうとうアタシのにくきゅうが猫じゃらしを捉えた。
「さすがオレのペット!なれるのが早いな」
ペットって・・・。くっ屈辱・・・。
っと、ミスターLはツナ缶を取り出した。見た瞬間、アタシの口の中に唾液がみなぎる。そういえば家出してから何も食べてなかった。
「これ、おいしいぞ」
「にゃーにゃーー!!!」
「食べなよ。オレが食っちゃうぞ」
「シャ~!」
すまんすまん、と言いながらツナ缶をアタシの目の前に置いた。アタシは礼儀作法などお構いなしにツナ缶にかぶりついた。
おいしい!
顔を油まみれにしながらツナを口の中に運んで行く。そして、子猫から見たツナ缶がここまで大きいのかと驚く。
「おいおい、あせらなくても大丈夫だぞ?」
ツナがなくなるころにはアタシのおなかは満たされていた。こんな量でおなかいっぱいになれるなんて、なんて安上りなの!
「よしよし、これでお顔をふけ。なかなかいいセンスじゃないか」
差しだされたタオルで顔を清潔にした。そして、撫でられる。本能の赴くまま声を上げる。アタシをここまで手なずけるとは、なかなかやるわね。
「もう少しお前と遊んでやるつもりだったが、オレはそれなりに忙しい。またあとで遊んでやる!」
っとアタシの頭を再びなでた。荒い言葉遣いの割に態度は優しい。
「にゃ~」
4
アタシは小さな体でしばらく彼の部屋を探検した。最低限の家具に、えっとこれはネジ?なんでこんなものがここに?
「ちっ。赤い男め。あんな奴にこのオレが何で負けるんだ!これじゃあ伯爵さまに面目が立たない。メタルブラザーまであんな目に・・・・・・?」
アタシと目があった。あっ・・・。
「おっ・・・おいおいおいおい!安静にしていなくちゃだめだろう!あんだけ疲れてたんだし!それにこの部屋、結構危ないものとか転がってんだから」
と言ってミスターLはアタシを抱え上げた。あ、えっ、ちょっと、やめて・・・。
「にゃにゃにゃにゃ!?」
じたばたするもアタシの小さな手足ではどうにもならない。
お姫様だっこ?
「ほらよ。オレの目のつかないところで怪我でもしてみろ。後悔するのはお前だぞ」
っと優しくベッドの上に乗せられた。隣に彼も座る。ふう。怖いったらありゃしない。子供の時もそんなことされたことないのに。
緊張したらトイレに行きたくなっちゃった。
・・・?
えっちょっと待って。この状況でどうやってアタシ、トイレするの?
「どうしたんだ?そんな慌てて?」
「にゃー!にゃー!」
どうしよう。ミスターLの前で醜態をさらす?アタシそんな趣味ないよ!?
必死に片手で彼の服を引っ張ってかつてない危機を表現する。もう片方の手はおなかに手を置く。
「?おなかがすいたのか?」
アタシは全力で首を横に振った。違う!そんな穏やかな状況じゃない!
「おなか・・・そうか!」
そうそう!早くどうにかして!
「まさか悪いものでも食ったのか!」
ちがーーーーーう!!
「ちっ違う・・・じゃあ、あえ?」
早く早く早く!
「トイレか!」
「にゃ!!」
ちぎれんばかりに首を上下に振る。
「・・・よし。今すぐ準備だ!」
はやくしてぇ~。アタシの人生がパーになるぅ~。
「・・・できた!」
えっちょっと待って!何これ?
「簡易猫用水洗トイレ!どうだ!少しは驚いたか!除き防止用のカーテン付きだ!」
色々突っ込みたいところはあるけどもうどうでもいい!
「・・・」
「ふ~」
あっ危なかった。間一髪、アタシは最低限のプライドを守った。あ、ウォッシュつきだ。
ところでこれ、どうやって作ったんだろう。とりあえず、水を流してトイレを出た。
「ふう、これでトイレは何とかなったな」
危なかった。自分のプライド全部失うところだった。
「あと、猫に必要なのは・・・爪とぎのための木と休むための家か。あと、遊び道具に・・・結構あるな」
アタシ自身、それらが必要なのかわからにゃいんだけど。
とりあえず、それらのものを数時間でそろえたミスターLはただものではない。
5
「耳の裏だろ・・・それから爪も・・・。鼻は湿ったガーゼで・・・あと目のふちも」
何これ。ほんと何やってるのアタシ。でもこうする以外に手はない。
はぁ。
「おとなしくしてろよ」
シャワーの音が耳をつつく。優しくアタシを洗ってくれる彼。洗ってくれるのはうれしいけどにゃ・・・。
っく・・・動物の姿だからいいものの、これ、元の姿の時にやられたらお嫁にいけにゃいよね。全身洗ってもらえるのはうれしいけど・・・。かといって洗わないのは不潔だしにゃあ。
猫って大変。
「ほら、きれいになった。これで気持ちよく寝られるだろう?あとはドライヤーで乾かすだけだ。」
「くぅ~・・・」
まあ、いいにゃ。
ドライヤーの風が温かい。さりげなく櫛を使って毛を整えてくれているあたり、なかなか気が効く。毛のほつれも一本一本直しているみたいにゃ。
「う~ん。滑らかな毛だな~。撫でて飽きない。お~よしよし」
あごの下!そこは・・・服従せざるを得にゃい。気持ちいい・・・!首周りとかやめて。ホント。
「ベッドがすきなんだな・・・」
いいじゃにゃい。気持ちいんだから。毛布かぶってると安らぐんだもん。
「どけよ、オレが寝られないぞ。家も一応作ったんだし・・・」
いやだ。こっちの方が気持ちいいにゃ。
「にゃあ!」
「まいったなぁ。もっとふかふかにすればよかったか?・・・仕方がない」
よし、ベッドはアタシの縄張り確定。
「隣、入るぞ」
「にゃあああ?」
こいつ、デリカシーなさすぎ!いやいくらなんでもそれはにゃいでしょ。アタシ、仮にも女にゃ!お年頃にゃあ!
この!
えいやっ!
「いて!飼い主に向かって!・・・わかったから、な。布団から出るよ」
そう言ってアタシにベッドを譲った。一瞬彼の顔に傷が見えたのは気のせいだろうか。もちろん、アタシのひっかき傷じゃない。
「にゃ~」
まあいっか。アタシは目を閉じて体を丸めた。
「はぁ。どうしたものか。どこで寝ようか・・・。あの野郎と戦って結構体痛めたしな・・・」
・・・。
戦って?
「部屋はこことあと・・・そうだ!ブラザーのソファーで寝ればいいんだ!幸い運転室は壊れてなかったし!」
「にゃ?」
え、あんたに兄弟いたにゃ?
「じゃっ、おやすみ。ルーニャ。戸締りをして鍵閉めて・・・」
まあ、そのうちわかるにゃ。
6
彼と過ごして数日が経過していた。あまり詳しい日付は覚えていない。
「ほら、ルーニャおいで。いいもの見せてやるから」
ミスターLはそう言ってアタシを導いた。そして黒塗りの壁に無造作に触る。すると、突然、奥へと続く道が開かれた。無駄にすごい技術にゃ。
「にゃ~!」
どこへ続いてるんだろうにゃあ。
通路を抜けると、一気に世界が広がった。
「オレの遊び場にして仕事場。ここであの水洗トイレも作ったのさ」
大きな空間だった。壁はむき出しのコンクリートで固められ、さながらどこかの倉庫のようだった。足から冷たい床の感覚が伝わる。そして部屋の中央には巨大な何かが鎮座していた。
「上を見るんだ」
見上げた。中央に鎮座していたものの正体がわかった。
大きい。それはアタシが子猫になったからではなく、もとから大きいものだった。
「エルガンダーZ。オレのメタルブラザー。鋼鉄の鎖でつながっている唯一無二の兄弟さ」
ブリキのおもちゃのような、ごつくて、力強くて、ぶっきらぼうなロボットだった。でも、温かみがある。そのロボット全体が、ミスターLの顔を模していたからだ。滑稽にも見えるその顔がおちゃめだ。緑色の帽子がアクセントになっている。なんか親しみやすい顔だにゃ。
「ブラザーをと一緒に、赤いオトコをぼこぼこにするんだ」
「にゃあ?」
と言ってアタシは首をかしげた。いきなり赤いオトコとか言われても意味分かんにゃい。
「そうだ。言ってなかったな。オレは偉大なる伯爵さまにつかえているんだ。その伯爵さまの邪魔をするのが赤いオトコだ。伯爵さまは世界をよりよい方向に作り直そうとしているのに、そいつのせいで事がうまく運べない」
最後の方は唸るような声だった。彼は写真をアタシに見せてきた。・・・どう見てもただの気のいい配管工にしか見えない。
「いま、伯爵さまは事をうまく運べない!僕が!!無能な!!ばかりに!!だから・・・次こそは!」
悔しそうだった。彼は心の底から伯爵さまにつかえているのだ。そして、伯爵さまの役に立てないことを深く恥じている。健気だにゃ~。
「にゃ~あ~」
優しく、声をあげた。彼が涙で滲んだ瞳でアタシをまっすぐ見つめてきた。
努力しても失敗することはある。痛いほどそれがアタシには分かった。この幼弱な体こそが環境に抗おうと努力した結果だったからだ。
でも、失敗してもそれが必ずしも悪い結果に結びつくとは限らない。アタシがあなたに出会えたように、にゃ。
「ああ、そうだな。過去に振り回されるのはよくない。ルーニャ、お前は本当に利口だ。そして優しい。・・・いつもこうだとうれしいんだけど」
「シャ~!」
「ごめんごめん、最後は余計だったか」
と言って、彼はアタシを抱き寄せた。アタシは別に悪い気はしなかったから抵抗も何もしなかった。
「君に会えてよかったよ」
彼は口調が少し変わった。心を許したあかしだった。アタシはそれを敏感に感じ取っていた。
「そうだ、これ、作ったんだ」
アタシの首に何かがかけられた。名札?緑色に光るプレート。表には白色で『ルーニャ』と書かれていた。裏には同じく白色で『飼い主:ミスターL』と書かれていた。
「これで離れ離れになっても大丈夫。絆のあかしさ。ちなみに近くにいると緑色に光るんだ。離れるとただの緑色。いっしょにいれば輝けるってわけさ」
ありがとうの意味を込めて、アタシは心地よい鳴き声を彼の耳元でささやいた。
これからこの人と一生暮らすのかにゃあ?
それを願うアタシが心のどこかにいた。
7
「今日はちょっと仕事が多い。伯爵さまから直々にご指名があってね。もしかしたら少し帰りが遅くなるかもしれない。・・・あ、ちょっと遊ぶか」
ミスターLは猫じゃらしを取り出した。
「ほれほれ~」
猫じゃらし!!!アタシは懸命にそれを捉えようとジャンプしたり、転げまわったりした。そんな様子を彼は心行くまで堪能していた。
「にゃ!にゃにゃ!」
べしっとアタシの爪が猫じゃらしを捉えた。どうにゃ!やったにゃ!
「おおっ!うまくなったな!前の動きと比べたら別物だぞ!お前は大物になる!間違いない!」
無我夢中に動かない猫じゃらしと格闘していると、彼が指を差しだしてきた。アタシは彼の誘いに乗り、指をなめたりしゃぶったりした。それはもう、純粋に。本能には逆らえにゃい~ペロペロ。
彼はもう片方の手で、アタシの首とか耳とかお気に入りの場所をくすぐる。アタシは彼に身をゆだね、可愛く鳴き声を囁く。
もう、建前とか恥とかはどうでもよくなっていた。自分がこれからどうなるのかとか、難しいことは考えなくなっていた。
彼と一緒に遊んだり、一日中ベットで眠っていたり、彼の倉庫を探検したり。そういったもので満足しているアタシがいた。
猫でいいにゃ。
アタシは今の自分に満足していた。
「じゃあ、行ってくる。食べ物はそこに置いておくから」
彼は倉庫に向かって歩いて行った。ネームプレートが徐々に光を失っていく。
いつものように彼は出かけて行った。いつものように。
もっとアタシと遊びたいのをこらえながら。
アタシももっと遊びたいのをこらえていた。
でも・・・彼は二度と戻らなかった。