月下香 ~白い花園~ 中
8
二度目の青春
僕とルビーとルーニャの間柄は急激に近くなった。
平日の夜は毎日のようにお食事に行ったりお互いの家に遊びに行ったりして、休日は休日でショッピングや映画、水族館にスケート等、とにかく遊びまくった。お互い楽しくて仕方がなかった。毎日がここまで生き生きとしていたのは中学の時以来かもしれない。過ぎ去った思春期がよみがえったかのような感覚。いや、それ以上だ。とにかく、僕らは楽しくて仕方がなかった。
そんなこんなで時間は全速力で流れていった。
「にゃは~!!__、おっはよ~!」
「ルーニャ、朝から元気だね」
カフェで話し合って以来、ずっと楽しみにしていた遊園地だ。ルーニャと二人っきり。
到着してホッと一息ついたところで僕は「じゃ、何する?」とありきたりな質問をした。すると、ルーニャはダムが決壊したかの勢いで・・・「まず、それからコーヒーカップでしょ、観覧車もいいなぁ~、あのおっきいドームみたいなところなんだっけ?お、あれも面白そう!」
「ちょ、ちょっと待って欲張りすぎ・・・」
「欲張って何が悪いにゃ!!あ~もう、時間がもったいないっ!」
「あっ、あい?」
ルーニャは僕の腕を強く掴むと、一つ目のアトラクションへと直行した。え?メリーゴーランド?しかも二人乗りの馬車に直行?
「あのさあ、少しは体裁とか気にしないの?」
僕の腕を掴んだまま馬車に飛び乗ったルーニャに声を投げた。
「いいから。ほら__、もう一方の手をだして」
無視の上にさらに酷な要求してきたよ。ほんと、こういうところは鈍感なんだから。
僕はどうしようもないので、ルーニャの手を素直に握った。両手から優しい温かみがこみ上げてくる。そのままルーニャは僕を馬車の中へと誘導した。これでようやくルーニャの腕から解放されると思い、僕はルーニャの左側に座った。それを見計らったかのように猫耳少女はいきなり僕の腕に抱きついてきた。
「にゃ~!」
右腕を外そうと少し力を入れてみるも、全く歯が立たない。もういい、どうにでもなれ。
こんな調子で僕は片腕を常にルーニャに拘束されたまま遊園地を回り続けた。少女はそれこそ一抹の不安もないと言った感じで、子供みたいに大はしゃぎしている。
でも、なぜか日が西に傾くにつれて僕を抱く腕の力が強くなっていった。まるで、少しずつ迫る何か恐ろしいものに必死に耐えているようだ。見た目はすごく楽しげなのに。
ルーニャの顔に暁色の光が差す頃、僕たちは観覧車に乗った。僕の腕をもぎ取ろうとでもしているかのように締め付ける少女猫。犠牲となった僕の右腕から微かに振動が伝わってくる。
「ルーニャ、今日は楽しかったか?」
彼女は意味深げに笑うと「うん。夢にいるみたいだった。」と言って僕に寄りかかってきた。
日差しは僕たちを赤々と照らす。僕は肩越しにルーニャの顔を見つめ、そして微笑んだ。こんなに美しい君の微笑みを知らない。
「まるで、恋人みたい、ね。」
9
日も暮れて
とうとう日が沈んだ。遊園地の電灯がきらびやかに火照っている。老若男女の笑い声や叫び声が聞こえるなか、僕たちは出入り口付近の広場のベンチに腰をおろしていた。
「もう、よるかぁ。楽しい時間はえてして過ぎるのがはやいにゃ~、__」
そう言うルーニャは少し寂しそうだった。僕はそんなルーニャに気を使って問いかけた。
「神様はどうして楽しい時間の流れを早くして、つらい時間の流れを遅くしたのかな。」
ルーニャは少し黙りこんだ。本気でその意味を探しているみたいだ。しばらくして、少女は重々しく口を開いた。
「多分、楽しい時間を大切にしてほしいからじゃないかにゃ?短いからこそ、大切にする。今みたいに」
僕はルーニャの感性に驚いた。
「今のルーニャはまるで詩人みたいだね」
「えへへ。ありがとう」
僕のほめ言葉に照れくさそうに笑う。こうしている間にもルーニャは僕に体をゆだねている。だからこうして撫でるのも簡単なのだ。
「くすぐったいにゃ~もう」
ルーニャは猫をほうふつとさせるしぐさで喜んだ。
しばらくして遊園地の閉園を告げる放送が聞こえた。すると同時に、「ねぇ__、あの窓辺に飾ってあった花どこで買ったの?」とルーニャが聞いてきた。
「あの花はルビーから買ってもらったんだ。きれいな花だったでしょ」
僕の言葉にルーニャは小さく首を縦に動かした。
「そっか。やっぱり、そうなんだ」
心なしか声に張りがない。気のせいだろうか。少しの間をおいてルーニャが口を開いた。今までのやり取りが嘘だったかのような明るい声だった。
「アタシも__にお花、買ってあげるよ!」
僕は突然の大声に思わず椅子の背もたれに頭を思いっきりぶつけてしまった。・・・イタイ。
「にゃはは!ごめん、笑っちゃって、でも、おかしっ、にゃははは!!」
僕は抱腹絶倒のルーニャを横目で見ていた。
遊園地から帰る途中、花屋に寄ってルーニャに白バラを買ってもらった。店員いわく、花ことばは「純粋」。ルーニャにぴったりだ。バラと猫娘の笑顔を見比べる。まるでルーニャの魂が乗り移ったかのような花だ。僕はこの粋なプレゼントに思わず「ありがとう!!いいセンスしてるなぁ~!」と大声をあげて通行人の注目を一手に引き受けてしまった。
「レストランで懲りたんじゃないのかにゃ?」
「いや、あの時はルーニャが悪いだろ」
小突きあいながら楽しく帰途に着く。遊園地でルーニャは、ずっと何かにこらえている様子だった。でも今隣にいるルーニャはそんなこと少しも感じさせないくらい元気だ。
「今日のことは二人だけの秘密ねっ!」
別れ際に言われたその言葉。ふと、思った。なんでルーニャはルビーを誘わなかったんだ?ルビーの分のチケットを三人で買えばいっしょに行けたのに・・・。
10
始まりはいつも通り
「おかえりなさい、__」
いつも通りルビーが家の前で待っていた。お隣さんだから、僕が帰ってくるのが窓から見えるのだ。
「ただいま。ルビー」
僕はそう言って手荷物のない方の手を振った。
「どこに行ってたの?」
ルビーが首をかしげて聞いてきた。遊園地、と言いそうになったとき、ルーニャとの約束を思い出した。そうだ、このことは秘密だったんだ。
「ちょっと、お出かけしてね。たまには運動しないと体がなまっちゃうから」
僕なりに平生を装いながら話を進める。ルビーはいとも簡単に信じてしまったようだ。いつものやり取りに戻った。
「じゃあ、これ。借りてた本。ありがとう。ねぇ、次はどんな本を貸してくれるの?」
最初のころに比べてルビーも積極的になったなあ、とのんきに考えていると、少し低いトーンでルビーが言った。
「今日、誰といっしょにいたの?」
「えっ、どうして?」
少女の優雅な指が僕の服から何かをつまみとった。
「これ、明らかに女の子の髪だよね。ねぇ、誰?教えて?」
いきなり詰め寄るルビー。僕は思わず後ずさりした。
「ちょっ、いくらルビーとはいえ言えるわけないだろ」
と弱弱しく言葉を発する。ルビーは実に容赦なく、さらに追及してきた。
「おしえてよ。スキャンダルを逃すほど私は鈍感な女の子じゃないんだから」
僕は言葉の上でうろつきながら家の中に逃げる機会をうかがっていた。ルーニャとの約束を、たとえ相手がルビーとはいえ、破れるはずがない。しばらくそうやってだらだらとやり取りしていると、急にルビーが怒ったような表情に変わった。
「ねぇっ!誰と!どこに行っていたの!この服に着いた髪の毛の量、普通じゃない!あなたはこれまで人と付き合ってる形跡もなかった!誰!教えて!」
僕は怒鳴るようなルビーの声に少しいらついた。なんだよ。人のプライベートにそこまで足を突っ込みたいのか?髪の毛とか何でそんなことまで気にするんだ?絶対おかしい。
「なんで僕がルビーにそんなことまで言わなきゃいけないんだ!」
その言葉が引き金だった。一気に少女の顔から血の気が失せていく。
「なんであなたは気付かないの?この・・・バカッ」
ルビーの美しい顔が今にも崩れ去り、涙であふれかえりそうだ。僕はあまりの彼女の変わりように驚愕した。僕は慌てて「ごめん、いいすぎた」と応急措置をとる。なんで僕が謝るんだろうか。わけもわからず縮こまっている僕に対してルビーが静かに口を開く。
「私こそ、どうかしてた。・・・ごめんなさい、迷惑をかけちゃって。具合が悪く・・・少し、家で休ませて」
よく見ると体がガタガタ震えている。本当に具合が悪そうだ。僕は家のドアのカギを外して、ルビーの肩を軽く押しながら家の中へと入った。
11
少し肌寒い夜に
本棚で囲まれた狭いスペースの中、僕とルビーは隣合わせで座っていた。
「大丈夫?」
「うん」
彼女は僕に精いっぱい笑おうとした。でも、顔が奇妙に引きつっただけだった。その上肌はいまだに雪のように蒼白だ。黒い髪の毛が一層それを強調している。ルビーは窓辺の月下香に目を向けた後、僕に向きかえった。
「・・・寒い。ごめん、ちょっと後ろから抱きしめてくれない?」
「抱きしめる?」
「うん、そう。」
何か釈然としないものを感じながらルビーの後ろから手をまわした。その時、ルビーの体がピクリと振動した。そして、血の気のない顔がさらに毒気を抜かれ、幽霊のような表情で目に見えるくらい震えだした。
「あっ・・・あぁっ!あなただったの!どうしよう、これじゃあ、これじゃあぁ!」
ルビーは顔をぐしゃぐしゃにして泣きだした。まるで何か恐ろしいものにおびえているようだ。さっきからルビーがおかしい。難解な言葉ばかり発している。これは危ういと感じ、僕はどうにか彼女を安心させようと体を密着させて耳元に口を寄せた。
「大丈夫、落ち着いて・・・」
僕は少女に繰り返しそう囁いた。もう、世間体とか気にしている場合じゃない。今では彼女は呼吸を荒げて喉を笛のように鳴らしていた。さらに肩を大きく上下させて、黒髪を荒々しく揺らし、胸部に手を押し当てている。異様に早い笛のような呼吸音が狭い部屋に響いた。
過呼吸だ。
僕は本棚から医学本を無理やり抜き取った。数冊本が飛び出したけどそんなことを気にしている場合じゃない。
「息を吐く前に少し止めて、それからゆっくり呼吸をするんだ!大丈夫!すぐおさまる!」
三十分くらいの間、僕はずっとルビーに語りかけ続けた。
すると、僕の決死の看病があってか少しずつルビーの呼吸はおさまってきた。
「・・・ごめんなさい・・・本当にごめんなさい・・・」
繰り返しつぶやく彼女が酷くいたたまれない。ルビーはなんでこんなことに?なんで苦悩しているのだろう。僕にはわからないことが多すぎる!なんて役立たずな男なんだ。
「ルビー、悩みがあったら教えて。誰にも言わないから」
僕の言葉を聞いた直後、ルビーは小さな声で叫んだ。
「もう、無理。ごめんっ!」
突然ルビーは全体重を僕にかけて床に押し付けた。唐突な出来事に驚きで体が凍りついた。手足がピクリとも動かない。金縛りにあったようだ。瞳すら動かすことがままならなかっい。言葉も何もかも全て奪われてしまった。視界いっぱいにアマリリスをほうふつとさせる紅い瞳がギラギラと輝いている。
なんだ、これ。頭の回転が追い付く前に、自分の口内に熱くほとばしる何かが入ってきた。それは炎だった。見えないけど確かにそうだ。口の中が焼けそうだ。危機感を感じながらも僕の舌が吸い寄せられるように炎に絡みつく。
僕はもはやここが現実か夢か幻想かわからなかった。そんな中、僕の心のケダモノが今までにないほど暴れまわった。理性という鎖を打ち砕き、僕の全てを支配する。体が、熱い!
12
朝日がうっとおしい
昨日の余韻をかき消すように電話が鳴り響いた。僕は布団の中にいる少女を気にして急いで壁掛け電話を取った。
「はい・・・はい・・・はい・・・わかりました。はぁ?もう、行かなくていいんですね。いままでありがとうございました・・・。」
ダンッと受話器を電話に置くと冷蔵庫からコーヒーのボトルを取り出し、一気飲みした。衝動がおさまると今度は果てしない鬱屈が僕を襲った。
リストラ、この、僕が。
優秀な後輩が来るから後のことは心配しなくていい、か。こんなの嘘だ。なんで僕がこんなことに。仕事だってそれなりに頑張っていたのに。後輩、誰だか知らないがなんでこの会社を選んだんだ。僕よりも仕事ができるなら、もっとでかい企業にでも就職できるだろ!
僕は再び湧きあがった怒りを発散するため、外に出た。仕事、ルビー、仕事、ルビー・・・。
頭の中で二つの単語をジャグリングしながらズカズカ道を歩いていると、駅前の花屋の前にルーニャが座っていた。僕の激怒はその可憐な姿によって一瞬で冷めた。それと同時に頭の中から二つの単語もすっぽりと抜け落ちた。
「ルーニャ、花屋なんて珍しいな。しかも今日、平日だぞ?仕事は大丈夫なのか?」
僕はごくごく普通の話し方で声をかけた。背後から声をかけられたせいもあり、ルーニャは全身の毛を逆立て僕の方を向いた。
「にゃにゃっ!?びっくりしたー。__にゃ。今日は仕事がないから、だいじょうぶ」
猫耳がぴくぴく動いているのを確認して、言葉を発した。
「僕も、今日仕事休みなんだよ。なんか運命とか感じちゃうね」
口から出まかせだった。昨日から頭が全く回っていない。こんなきな臭いセリフ、普段の僕なら言わない。
「えへへっ、そうかもね~」
ルーニャは照れくさそうに答えた後、僕に二コリと笑った。その笑顔があまりにも眩しくて驚く。きっと休暇以外にも何かいいことがあったんだなぁ~。まるで長年ほしかったものを手に入れた子供のようだ。目に全く濁りがなく、心の底から喜んでいる。その幸福を僕に伝えようと口がうずいている。
一息ついて、ルーニャはとてつもなく明るい声でマシンガンのように口を走らせた。
「明日からねっ、__と同じ職場に配属されたんだよ!前の会社は合わなくてやめて、次の会社どうしよっかなって考えたとき、あなたの会社が真っ先に思い浮かんで、それで、それでね、面接受けたの、そしたら受かっちゃって、部署の希望まで聞いてくれて、それで、あなたと同じところを言ったらね、本当にそうなったの、明日からだからいっしょ、これからもよろしくにゃ!」
僕は後半全く話を聞いていなかった。
「同じ部署に配属された」
ということが僕にとって何を意味しているのかわかったから。僕はそのあともルーニャの喜びの波に打たれ続けた。驚いたことに自分自身、この事実に全く動じてなかった。さっきまでの怒りをルーニャにぶつける、なんてことは全く思いつかなかった。僕はまるで、冥府の世界から現世を除いているような、不思議な感覚に陥った。ルーニャの話す言葉に現実味を全く感じられない。
だからこそ、僕はルーニャの喜びに拍手でこたえることができた。
「今日暇?いっしょにどこかに遊びに行かない?」
急に僕は家に置いてきている人の顔を思い出し「ごめん、今日はちょっと無理。また今度誘って」と答えてその場を去った。
13
頭を抱えながら扉を開けた
家のドアを開けるといきなり何かが僕の胸部に飛び込んできた。
「捨てられたかと思ったぁっ!」
艶やかな黒髪が僕の手をかすめる。僕は「そんなわけないじゃないか。一人にしてごめんな。」と、ルビーの頭をくしゃくしゃに撫でまわす。
以前なら気が動転してどうすることもできなかっただろう。
「僕のことが信用できない?」
ルビーは首を左右に振った。
「昨日のことで、__が怒って出て行ったのかと思った。ルーニャといっしょにどっかに行っちゃったのかと思った」
ルーニャがなぜこの場で出てくるのだろう。そのことを疑問に思いながらも、ひたすら僕の胸の中で鳴き続ける少女に僕は慰めの言葉を投げかけ続けた。本当は僕自身が泣きわめきたい。家の本を全部ひっくり返してぐちゃぐちゃにしたい。でも、自分以上に苦しそうなルビーを見ていると自分のことなんかどうでもよくなる。
「ほら、お菓子買ってきたよ。チョコレート。甘いものでも食べて元気だしなよ」
僕は通りがけに買った板チョコをルビーに見る。僕を待ってくれたルビーへのささやかなお礼だった。彼女はそれを見てようやく気を落ちつけたらしい。僕が隠し事も何もしていないことが伝わったようだ。
「ありがとう。」
僕は包装を解き、銀紙をめくってルビーの口にチョコを近づける。すると、ルビーはチョコの先端を小さい舌で舐めだした。少女が目を輝かして板チョコを舐める姿は、正直、とてもそそられるものがある。甘美だ。でも、何か腑に落ちない。心の中にわだかまりがある。この状況が決していいものではない、と何かが警告している。職を失ったこと以外にも僕は重要なものを見落としている。そしておそらくその正体をルビーは知っている。それに彼女はおびえている。
でも、どうでもいい。今は少しでもルビーに尽くしたい。いやなことを全部忘れて、忘れさせて、お互いに花の蜜を貪りたい。こんなことはめったにないのだから。ルビーは僕の手からチョコレートを受け取り、僕の目の前に差し出してきた。
「月下香の花言葉は『危険な快楽』。さあ、__も食べて」
ルビーはうっとりとした顔で僕を見つめた。でも、僕は目の前の板チョコには目もくれずルビーの口内の中のチョコレートを舐めまわした。衝撃と歓喜に少女の髪が震えた。僕は頭の後ろに手をまわし、黒髪の幸せなにおいに身を任せ、いつまでもルビーを愛撫していた。