フゥルの鉛筆画ブログ

鉛筆画のイラストや絵を中心に描いています。黒髪が大好きです。時々短編小説も書きます。

人を黙らせる方法 下

数日後、進路指導の先生から呼び出しがありました。

 

 「きみ、うちの学校じゃなきゃ落ちてたよ。向こうの学校で職員会議があったんだ。あの作文は何だ?まるで小学生の文章じゃないか。ドラえもん、なんで面接でそんなこと言ったんだ!きみの力で合格したわけじゃないよ。なんで小説の読者は雑な感想しかくれないと思う?小説の読者なんて君のことを考えていないからだよ。きみは友達少ないよね。もっと努力しなさい。」

 進路指導の先生、今回が初対面でしょ。初対面なのに私の何がわかるんですか?

 

 

 担任からも同じようなことが言われました。

 「あなたの実力じゃないから・・・」

 

 

 母は専門学校に電話しました。

 専門学校の先生は

「ちゃんとお子さんは合格基準を満たしていましたよ。決して学校の裏回しなどはありません。」

 と言っていました。担任や進路指導と言ってることが違います。

 

 

 

ルイージの小説連載再開。

 

妄想の中では空を飛べます。魔法を使えます。何をするのも自由です。なんて素晴らしい場所なんでしょうか、頭の中は。快適です。

 

 

 

十月の定期試験は数Bが0点、物理は32点でした。数学Ⅲは28点・・・もはやどうでもいい。全くわからない。その一点張りです。もはや勉強する意味などありません。全部、一言一句わからないのですから。

 

数日後、母と進路指導が口論していました。進路指導の先生は根拠のない断定ばかりしていました。何の証拠もないのに決めつけて私に勝手な評価をしていたのです。担任も同様でした。

だから親が切れても仕方がありません。私はもはや反撃する元気もありませんでした。

 

 

 これが私にとって最後の大打撃でした。家は受験に落ちたような、恐ろしく暗い雰囲気に包まれました。私はもう、ダメです。

 

 

 

皆さんに聞きたいことがあります。私はこのとき冗談抜きで自信という言葉を忘れてしまいました。その意味と本質を教えてください。

 

 

 

とりあえず、あの自信というものは確固たる意志を持って完成するモノのようです。他人にとやかく言われてもそれをはねのけるだけの自身がなければ、すぐに崩れ去り、自分に絶望するだけでしょう。そうです、自信は持つべきではないのです。よっぽどのことがなければ自信なんてない、と自分に言い聞かせるべきです。

 

 

私はなんだかんだ言ってもう文章を数十万字は書きました。でも、自信はつきません。

 

 

友達に小説を見せて読ませたいです。そしてほめられたいです。自信とはほめられてつくものだと本には書いてありました。どんなものか忘れてしまった自信というものを取り戻すために、友達に文章を見せたいです。そして心ないお世辞を言われて、ほめられて、妙に鼻が高くなって、少ししたら、たたき折られるのでしょう。

 

 

 

一月から三月、私は狂ったようにルイージの小説を投稿しまくりました。一日九時間ぐらいでしょうか。三年生は途中から授業がなくなります。ですからほぼ毎日、そのペースだったのです。もはや廃人です。読者が待っている。つながりを断ちたくない。私は小説の世界へ逃げました。逃げて逃げて逃げて、作品を完成させました。

 

その後もこの小説には強い執着を持つことになります。専門学校に入っても結局、ネットの中で作品を改変投稿し続けました。この「ルイージの小説」に・・・良くいえば・・・思い入れが深いのです。悪く言えばすがりついています。

 

結局「ルイージの小説」本編の連載が完全に終了しても、別の外伝小説を執筆し続けました。

 

 

 

今こうしてブログを立ち上げ、つながりを求める私は何でしょうか。

 

先生は言いました。ネットの中の奴らはお前のことなんかどうでもいいのだ、と。進路指導の先生の言うとおり、あの後小説の読者は数人を除いてどこかに消えました。後に残ったのは虚構だけです。

 

そうなんでしょうね。いま、あれだけいた読者の中で私のブログを見つけて、今なお読んでいる古参は、指で数えられる人数です。

 

 

再全盛期、私の動くメモ帳内の読者登録数は三千人いました。登録していない人も含めると、さらに人数は膨れ上がります。

 

 

いまは、五・・・六人、くらい、ですか?残っているのは。

 

 

本当に私は何のために文章書いているんでしょうか。まあ、やっぱり哀しい自己満足でしょうか。読まれたいです。もっとたくさんの人に文章を読まれたいです。そういう欲求はやはりあります。自信がない癖、ないからこそ、自分の存在を認めてもらいたいのです。もう一度自信というものを取り戻したいのです。

 

まあ、無理な話ですが。

 

 

ネット依存、私はその一端でしょう。きっとそうです。現実社会に適応できないおバカな人間です。

 

皆さんはこうはならないでください。まっとうな高校生活を送ってください。私の青春は悪い例です。

 

そう、恥多き学校生活です。

 

 

 

 

人を黙らせるのは簡単です。

 

私の過去を話せばいいのです。

 

 

 

 

さて、専門学校に入って私はどうなったのでしょうか。

 

やはり、小説は書き続けています。かつてほどの異常なペースではありませんが、日々コツコツと書き続けています。

かつてと変ったことは確固たる目標を持ったことでしょうか。私の専門は国家資格であり、三年後にもう一度受験があります。逃げることのできない絶対的な試験です。しかし、逆に試験さえ受かってしまえば、就職は確実といっていいくらい安定した職種です。前回の大学受験もどきのように目的がないまま迷走するということはありません。

 

私は今、やはり進級が危うい状況にいます。高校時代あれほど苦労した物理の授業も、9月から始まりました。でも、以前のように勉強を放棄するようなことはしません。やるべきことはもうはっきりとしているからです。そして、それをこなせば少なくともまともにしろそうでないにしろ、社会人として職にありつくことができるのです。迷いはありません。

 

 

19歳の私が確信したことがいくつかあります。何かから逃げても追ってきます。

高校時代避けた物理も全く同じ内容が専門学校で展開されました。また、私はいまだに弁当を一人で食べています。友達に声をかけるのを躊躇しているからです。

自分が変わらなければ環境が変わっても無駄です。何かから逃げても、ブーメランのように自分に帰ってくることがあります。私の場合、受験から逃げたのに二年半後には私は国家試験にぶつかります。皮肉にも私は全てを先延ばしにしただけだったのです。

 

でも、私は今、目標があります。国家試験に合格し就職するという目標が。高校時代のように何も目的のない抜け殻のような状態ではないのです。

 

 

逆に、目標を持たなければ事を成すのは困難です。何か目標を持ってください。なんでもいいです。どうでもいいことでもいいです。ただ持っていてください。皆さんが思っている以上に割と役に立ちますから。