小説 滲む赤 3
自分の絶望的な状況を話終え、赤崎は冷や水を氷ごと一気飲みしました。がりがりという音が部屋全体にむなしく響きました。
「これが俺の剣道部から逃げてきた理由だ。何か、質問はあるか?」
私は混乱していました。赤崎がこんなにも苦しんでいたのに、私はのうのうと部活を楽しんでいたのです。親友が助けを求めていたのに、私はそれに気付かなかったのです。私は自分の勘の鈍さを憎みました。
ところで、女子たちが赤崎のうわさを広げていたなら、その噂が一つぐらい私の耳に入ってもいいはずです。それなのになぜ、わたしの耳には入ってこなかったのでしょう。何かカラクリがありそうです。私はそのことを赤崎に質問しました。なぜ私にその噂が流れてこなかったのか、と。赤崎は言いました。
「信じる、という力だ。」
普段から同級生は十分すぎるほど赤崎の善良な行動を目にしていました。ですから、彼を信頼していた友達は女子から流れてくる不穏なものをダムのようにせき止めていたのです。そのおかげで被害は最小限に抑えられていたそうです。なるほど、それが赤崎の人望なのでしょう。
ならば、次にすべきことはもう決まっています。
「僕に何ができる?何か力になれることはあるか?」
私達は次の日から作戦を実行しました。
まず、赤崎は恋人にもう一度謝りに行きます。もちろん、突っぱねられること前提です。とりあえず、恋人関係の続行は不可能ということを彼女に植え付けさせます。
私は赤崎のことを友達に話します。赤崎は変わった、前よりも良くなった、ずいぶん愛想がよくなった、などのいい情報が中心です。赤崎の友達ノートの統計で比較的赤崎と私に好意を持っている友達を中心に話していきます。家に帰ったら、手紙や情報機器を駆使して、さらに地盤を厚くしていきます。
次に赤崎は自分に不信感を持っている友達、あるいは嫉妬深い女子たちに真剣な顔で、二人で話したいといいます。二人になれたら何か適当な自分の弱みを話します。そうすることによって相手を信頼していることをアピールします。そして、こんなつまらない話を聞いてくれてありがとう、と満面の笑みで言ってジュースか何かをおごります。
話し相手は、自分が赤崎を疑っているのに赤崎は心から自分を信頼している、自分はなんて悪い奴なんだ、とジレンマに陥るはずです。
私は流した噂はこのころになって真価を発揮します。彼らは赤崎を信用するかしないか、頭の中で延々と同じ質問を繰り返しています。迷いに迷って正常な判断能力を失い、脳みそは他人に判断を任せざるを得なくなります。
その時、天の導きかというようなベストタイミングで赤崎のいいうわさが流れてきます。それも、赤崎自身の口ではなく、信頼できる友達の口からです。ここまでくれば誰しも赤崎を認めるしかありません。赤崎も人であり多少のミスはする、と。
先生方には事情を一つ一つ説明して、なぜ自分の成績が落ちたのかを理解してもらいます。勉強不足で評価が落ちたわけではない、ということを伝えるためです。また、遅れてしまった分の勉強を教えてくれ、と言って勉強の意欲を見せます。
先生も赤崎のことを理解し、生徒の大半も赤崎を許しています。急激に赤崎は信用を取り戻しました。赤崎を信用していない人物はあと一人だけです。その一人も、周りからのうわさによってかなり困惑しています。
事件の真相を知る人物にはすでに私達の方で手をまわしています。赤崎は友達と直接会って、自分がいかに元恋人にたいして反省をしているかを説明し、私は私で赤崎がみんなの見えないところで涙を流していたとか、そういう話をしました。おもに彼女の周りの人物を中心に。
それによって赤崎を許さない奴は異端、という風潮が学年全体に流れます。その圧力は元恋人である彼女も例外ではありません。赤崎を許さない限り周りから毎日のように説得の嵐が飛び交います。
学年には赤がにじみ、浸透し、もはや赤一色です。
そして、とうとう彼女が折れそうだという情報が私の耳に入りました。
赤崎は人気のないところに彼女を呼び出し、盛大に謝りました。相手に罪悪感を植え付けるほどの謝り方です。普段、ほとんど他人に弱みを見せない赤崎がそれをやったのです。彼女はひどく驚いたことでしょう。
さらに赤崎は、許してくれなければ責任を持って転校する、なんて言葉も放ったそうです。どう見ても嘘に見えない脅迫めいたその言葉は、元恋人の心に最後の打撃を与えました。
凍りついた彼女の心が徐々に融解していきます。彼女の見下したような顔はいつしか普通の女の子の顔に戻っています。感情的だった自分が恥ずかしかったのでしょう、目には涙を浮かべています。そして、小さな声でごめんなさい、ごめんなさいと何度もつぶやきました。
彼女は赤崎との心理戦に敗れ、赤崎を赦しました。
この作戦が成功したのは、赤崎が友達の手帳を私以外の誰にも見せていなかったからです。それは、赤崎が本来だれよりも信用すべきはずの恋人よりも、私が信用されていたことになります。
元恋人と赤崎が仲直りした夜、私は赤崎の家に呼ばれました。
家に着くなり赤崎は私にお礼とお世辞の嵐を浴びせてきました。ほめられて悪い気はしないので、私は私で悪乗りして、夜遅くまで騒いでしました。ちなみに赤崎と私の親にそれぞれ了解をとっていたので、時間がどうのとかは言われませんでした。
赤崎は言いました。
「この苦境を乗り越え、自分は変わった。そして、もともとそれなりに深かった俺たちの絆が、さらに深まった。これを記念して私達にお互いあだ名をつけあおう。俺たちにしかわからない秘密のあだ名だ。」
私もあだ名という秘めごとの共有には賛成でした。それによってさらに赤崎とのつながりが強固になると考えたからです。
「名前は赤崎滝矢、お前の竜の時の鱗は紅だろ、紅、龍。名字の赤と、名前の滝からさんずいを抜いた竜、そこから導き出されるのは・・・。」
「セキリュウ(赤竜)か!じゃあ、お前の名前は・・・。」
こうして夜は更けていきました。
セキリュウといっしょにいると楽しくて仕方がありません。私は学校にいる「赤崎」よりも、今私の目の前にいる「セキリュウ」の方がずっと仲が良いのです。
私達は学校ではほとんど交流がないのにもかかわらず、親友と呼びあえるほどの仲でした。なぜでしょうか。秘密を共有しているからでしょうか。今でもはっきりとした答えはまだ見つかっていません。
ですが、私はこの友情は永遠のものだと確信していました。ただ一つの例外を除いて、ですが。