小説 滲む赤 2
私と赤崎は偶然、同じ高校に通うことになりました。
別のクラスであった私の耳にも、うわさはすぐに入ってきました。あのクラスにはすごく面白いやつがいる、と。
高校時代、赤崎の才能は開花しました。中学時代に技を磨いたために、赤崎の心理的技巧はさらに鋭くなったのです。クラス中を笑いで湧かし、入って数週間で一躍人気者になりました。
私はというと、相変わらずクラスの仲間入りを果たせずクラス内で、もじもじしていました。しかし、赤崎から教えてもらったテクニックが幾分か功を成し、中学ほどは孤立しませんでした。休み時間にクラス内の友達と暇をつぶすことくらいはできるようになったのです。
私は昼休み、久しぶりに赤崎と会いました。新学期に入り、部活等で色々と忙しかったので会う機会がなかったのです。赤崎の方は相変わらずさわやかで、髪の手入れもろくにしていない私とは雲泥の差でした。
赤崎は剣道部に入部したと言いました。幼いころから刀を振るう侍の姿にあこがれていたそうです。また、スポーツに難があった分をカバーするという目的もあったようでした。それに対して私は中学からのあこがれであった魔法研究部、通称「魔研」に入部していました。大方予想通り、と赤崎に笑われました。高校に入ってもお互い、やることなすことはあまり変わらないようです。人のさがというものはそうそう変わることはないようでした。
しばらくたち、学校生活に慣れてくると私は部活、魔研に没頭しました。放課後、数人の仲間とともにひたすらスペルと呼ばれる不可解な文字と向き合い、それを解読し、自分たち独自にアレンジしたりしていました。幼少のころから魔法と向き合っていたからでしょうか。部活内でも有数の魔法オタクとして認識されました。
中学時代、赤崎以外に魔法に関して話の合う人は、まずいませんでした。話が高度すぎる、みんな口をそろえてこういいました。先生ですら例外ではなかったのです。私が丁寧に説明しても、周りのみんなは疑問符を浮かべるばかりで、しまいには私のことを奇人変人扱いしてきました。そんな苦い経験があってのこの部活です。初めて多人数の人に私の実力が認められたのでした。私はうれしかったのです。すごく、すごくうれしかったのです。
だから私は赤崎のことなんてすっかり忘れて部活に熱中したのでした。
たしか高校二年の五月ごろ、でしたか。赤崎が急に魔研に編入してきました。いきなり何の連絡もよこさず入部してきたのです。
しかし、なぜ、こんな中途半端な時期に赤崎が入部してきたのでしょう。部活を切り替えるのであれば節目である四月初頭というのがセオリーではないでしょうか。赤崎は常識というものを見事に打ち砕いてこの部活に入ってきました。
私はもちろん、その場で理由を聞きこうとしました。私は赤崎が部活内で、人間関係や不真面目といった、世間一般に聞く問題を起こすとは思えません。彼はやると言ったことは必ずやります。私自身が一番よく知っています。
なら、なぜ、その信念を曲げてまでこの部活に入ったのでしょう。私はその理由を渇望しました。どうしても知りたかったのです。
私は赤崎の目の色をうかがい、そしてあきらめました。何も言わずともわかりました。私が考えているような浅はかな問題ではないようです。一瞬、並みの渓谷よりも深いしわが、赤崎の眉間に寄ったのです。
今日の部活そのものは楽しい内容となりました。部員たちは赤崎を大変喜んで歓迎しました。部活内で赤崎を知らぬ者はいません。まさか赤崎さんが入部してくれるとは、と先輩方もニヤニヤしていました。赤崎は早速持ち前のカリスマを発揮、先輩方を一瞬にして味方につけ、まるで今までずっと部員だったかのように部内に溶け込みました。
私としても赤崎がこの部活に入ってくれることそのものはうれしかったです。中学時代からの友達が同じ部活だということ、それだけで絶大な安心感を得られます。ましてやその友達は学内アイドル、赤崎滝矢です。うれしくないはずがありません。
私達はもともとあまり活気のある部活ではありませんでしたが、赤崎が来たことにより一気にモチベーションが上がり、赤崎の歓迎会は大成功を収めました。
私の予想通り、帰りに赤崎に呼び止められました。いっしょに帰ろう、と。
中学の時、赤崎の部屋はいつもきれいに整頓されていました。私は彼の家を訪れるたび、感嘆の声をあげていたほどです。しかし、今は見る影もありません。学習机の上にはメモ帳とノートが乱雑に置かれており、あちらこちらに物が散乱しています。赤崎は私に、片づける余裕がなかったと言いました。
赤崎の心の中でただならぬ何かが起きたようです。
赤崎は無表情で私にテーブル脇の椅子を勧め、無言でお冷を差しだしてきました。私は雀の涙ほど口に含みました。
赤崎が私の前に座ります。そして一回大きなため息をつきました。以前会ったときあれだけ筋肉質であった腕も、今では細く華奢になっています。顔の表情筋は重力に逆らえず、本来の働きを成していません。よく見ると目じりが暗く、落ち込んでいます。
彼は両手で顔を覆い、再びため息を放ちました。聞いているのもしんどい溜息でした。
「何から、話そう。」
私は、あまりにも赤崎の声が重いのでその重みで天井の電灯が落ちてこないか心配になりました。
長い沈黙の後、耳を澄まさないと聞こえないようなか細い声で赤崎は言いました。私は始めの一言を聞いた瞬間、頭に雷が落ちたような強い衝撃に襲われました。
「吐き出したくなるような苦い恋だった。」
赤崎はかつて人生で体験したことのないような強い衝動に駆られたそうです。それこそ身がよじれるような強い感情が赤崎を支配しました。全てにおいて冷静に判断してきた赤崎にとって、その情動の正体がつかめず、ひたすら困惑したそうです。
彼はその正体不明の衝動に身をまかせることにしました。自身の持つ技巧を最大限に活用しました。赤崎ほどの顔と性格ならそんなことをしなくても十分だったと思いますが、念には念を入れたそうです。
まんまと獲物は蜘蛛の糸にかかりました。
しかし彼は築かぬうちに自分自身の蜘蛛の巣に喰われました。
赤崎は性別やクラスを超えて誰とでも仲良くしました。今回、逆にそれが大きなあだとなりました。赤崎の恋人に嫉妬を抱く人が大勢いたのです。
ほぼすべての女子と日常的に接していた彼は、女子たちのあこがれの的になっていました。面も人柄もいいのです。私以外はそれが仕組まれたことであるということに気づいていません。そのため、彼に恋心を抱く女子生徒は決して少なくなかったのです。
赤崎に恋人ができたという情報を聴きつけた彼女たちは一気に赤崎の敵となりました。
赤崎は学校のほぼすべての人間とつながっています。赤崎にとって嘘を見分けるのがたやすいことだということは、だれもが認識しています。ですから嫉妬する女子高生は一斉に赤崎の評判をおとそうとしたのでした。赤崎をだませないのであれば、その恋人の方をだまそうという魂胆です。さらに周りのライバルがその噂を聞いて赤崎に対して幻滅し、戦いから降りるという相乗効果もあります。それに赤崎の恋人の評判を落としたところで、それにとってかわるような女子がいたら意味がないのです。
赤崎の恋人は恋人で、ライバルに赤崎を取られまいと必死です。すさまじい競争率の中、奇跡的に赤崎の恋人を勝ち取ったのです。保守的になるのも致し方ありません。ありとあらゆる手段で赤崎を外敵から遠ざけようとするのは当然です。彼女は私だけを見て、と耳が腐るほど赤崎に言ったそうです。少しでも赤崎の気を引いて他の女から注意を話そうと躍起になったのです。
また、彼女は他人と赤崎が接触することを極端に嫌いました。これは男友達も含めます。恋人よりも友達を優先するのは普通では考えられないことです。友達よりも家族よりも仕事よりも私を優先してほしい、彼女はそういう思いだったのだと思います。
対して赤崎は人間関係を保持するため、少しでも嫉妬の嵐を抑えるために、他の人との接触は必須でした。赤崎は普通の人とは違い、人間関係という複雑に絡み合った蜘蛛の巣をすみかとしている蜘蛛のような存在です。蜘蛛の巣は蜘蛛がいなければその存在を維持できません。いつかは風雨にさらされ崩れてゆきます。逆に蜘蛛は蜘蛛の巣を張らなければ効率よく獲物を捕まえることができません。
つまり、赤崎が人とのつながりから離れれば、尋常ではない人数にその影響が出るのでます。そして赤崎自身は居場所を失ってしまうのです。
赤崎は恋人に自分の複雑な立場を順序立てて、わかりやすく、子供でも理解できるように教えてやりました。
しかし、人は感情の生き物です。赤崎の言葉に彼女は耳を貸しません。理性で分かっても本能で否定してしまうのです。彼氏なら自分に骨の髄まで尽くすのが当然だ、というのがあのバカ・・・いや、彼女の言い分です。
さらに、恋人に裂く時間が多くなれば当然、男友達に割り当てる時間は減ります。しばらくして男子まで赤崎は冷たくなったなどと囁くようになりました。
恋人に金を裂いているために他の人に物をおごることもできません。休み時間、恋人と話しているために友達に挨拶しに行くこともできません。赤崎の特技は恋愛によって完全に封じられたのです。
同級生は赤崎にどんどん不信感を募らせます。赤崎は心理学を知っているがゆえに、そのことを人一倍敏感に感じていました。周囲の人からのプレッシャーはすさまじく、赤崎の精神は日に日に疲弊していきました。
そんな精神状態で勉学に身が入るはずもなく、成績も人並みまで落ち、先生からの信用も危うくなってきました。
顔は日に日にやつれていき、人間関係が崩れかけているためにたぐいまれな人格の良さも十分に発揮できません。しまいには彼女と会うことさえできないくらい、精神的にやつれてしまったのです。
そんな中、赤崎はとうとう彼女から別れ話を切り出されます。理由は「私を見ていない」からだそうです。
赤崎は彼女に振り回され、全てを吸い取られた揚句、身勝手に捨てられたのでした。
しかし、もとはと言えば赤崎からアプローチしたのです。自業自得としか言いようがありません。身から出たサビです。赤崎はできる限り自分の非を詫びた後、彼女と別れました。
これが赤崎の初恋です。